座頭市の釣り!
のどか・・・・を絵に描いたような風景ですが、海上では釣り師の丁々発止のせめぎ合いが。
海中では釣り師と魚の駆け引きが。
気配 というものは現実には見えません。 確かめようと思ってもそんな手段はありませんから、はっきりと確認は出来ません。 では無い のかと言えば有るのですからまことに不思議なものと言わざるを得ません。
釣り場に赴いて今日は釣れる と予感めいたものが走ることもありますし、もう食い込むぞと分かるときもあります。経験値と現実の状況がそう予感させるものと思います。そう考えて納得せざるを得ないのです。
「心眼で釣る」と言う人もあるやに聞きますが、何らかの予知能力に長けた人なのでしょうか。身に着けたいものです。自分の予感は不確かなもので、一般的な常人のものです。超人的な能力を備えれば、これは底引き網船を一艘手に入れたようなもので、 一網打尽・・なんと心地よい言葉ではありませんか。
座頭市は心眼で釣ったに違いない。
映画の座頭市が釣りをしています。「旦那、引いてますよ・・」他人の浮きの気配まで分かるのですから、竿を通じて手に伝わる魚信を捕らえてでは有りません。脈釣りでもないのです、何しろ目が不自由なのですから。 では、予感なのか。予め感じること、が予感なのですから、これは程度の差こそあれ誰にでもある、自分の竿と他人の竿、一人で管理することなど、予感の仕事ではありません。予感でもない。心眼としか思えないのである。
座頭市は強い。気配、予感、心眼まで操るのですから、平和的一般市民や、反社会勢力のかなう相手ではないのです。弟子入りして、この能力を手に入れたら、大型底引き網船を二艘手に入れたも同然です。
これが分かって、この能力を手にしようと努力しない奴は世間では「ばか」の二文字で消去・抹殺処理されます。
「これだ、やっとこの境地に気が付いた、ふふふ・・・・・・今に・・・」と決意しながら、むきかけのピーナッツの殻から飛び出した豆が床に落ちるのですから・・
何をかいわんや、程度の程は底が見えているのである。
ぼうふらが 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水の中を上下に浮き沈み