魚拓・・やっぱり止めとこ 釣り師の決め事
海は広いし世間も広い。少々のことなど人間家業が永くなると驚いていたのではやっていけませんから、大概のことは首を突っ込んで、見聞きしてきました。驚くことが年を重ねるごとに驚くほど少なくなりましたな。
ところが驚いちまった。
浪士様は魚拓はお採りになりません。過去の栄光に何時までもすがって生きるのを良しとされないからです。もっと大きい立派なやつをと、何処までも貧欲なのです。何時までたっても成長が見られない、ドンキホーテの親戚なのです。
その魚拓、物の本によりますと、江戸時代に始まって当時瞬く間に全国に広がったそうです。そして日本人の特徴でしょうか、流派ができて逸れも数あったといいますから、飯の種といいますものは何処にに転がっているか分かりません。
「あくび」の指南の話が落語にあります。考えてみるに江戸時代とは、かなり懐の深い、いい加減なことでも本気でやってしまう、面白い時代だったのかもしれません。
昭和の頃には「稲田式色彩魚拓」と称した会など、門弟3000人を数えたと言いますから、たかが魚拓とは言えない話になります。侮るにもよっぽど覚悟がいる話でもあります。 この頃より墨一色だった葬式カラーからカラー化が始まり カラカラか・・・・っかkkk 数があってますかな?からの?
魚拓が時代を前に転がしてまいります。現実の魚により近い魚拓になったのです。
驚いたのはここから。この魚拓にカラー化が進み始めた頃より、「芸術魚拓」を唱える人が現れて、色々魚にポーズをつけては喜ぶ風潮がはびこってまいります。
この手合いは魚は釣りません。もっぱら魚屋で仕入れた肴にボディペインティングして喜んでおるのですから、釣とははなはだ、かけ離れたものとなってまいります。
釣り師の記録としての目的であった魚拓が、とんびに油揚げをさらわれたと言いますか、親父の持ち物で合った居酒屋が、小娘に取り上げられた状況が生じてしまったのです。
確かに綺麗で、活き活きとして、生命力が出たのは間違いないのですが、それにしても、釣り師の特権であった魚拓を取り上げるなんて!・・・・・
釣り師の皆さん ぼんやりしてたら今度はなにを取り上げられるか分かりませんぞ
おのおの方油断召されるなよ!
ただいまはこの本に取り掛かっております。
本日の記事の内容はほとんどが受け売りです、あしからず。