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備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

子供の頃の懐かしい釣り

 

 今は海の釣りで、淡水の釣りは子供時代からは、かけらもやっていない。

どなたかの説に、「賢者は川で釣り、知者は海で釣る」とあったが、そんな上等な釣りは毛頭意識したことも無いし、かなり傍若無人な釣りを繰り返している事だ。

 

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 子供時代をすごした田舎は大きな川はなく、小川に毛の生えたようなかなり貧弱な川であった。すむ魚も ハヤかどろばえ(正式な名は分からない)ぐらいなもので、たまに大水が出た時など、どこぞの池から流れ出た鯉が混じるくらいのものだ。

 

 川の釣りに加え池の釣りではフナと鯉、こちらは魚の大きさがかなり大きくなり、それなりの覚悟がいる釣りだった。

 

 釣りは気の合った三人組が示し合わせて行くのが決まりで、それは気が合うと言う事も合って他の遊びも一緒だったし、腕のほうも似たり寄ったりで、悔しい事や嬉しい事も、誰かが極端に突出する事もなかったから、これは子供ながらの傷の舐め合いだ。

 

 ターちゃんという2年ほど上級の達者に釣りをする子とは、絶対に一緒にはならなかった。ともかく上手に釣りこなすので、三人ともお互い惨めな気持ちを思い切り味合わされていた。あえて悔しい目など誰が味わうか。

 

 一人はわーちゃん、チンコをどろ蜂に刺された子だ。(10月14日の記事)それと金ちゃん。金ちゃんの家は集落と集落の中間辺りにあったので、遊びの基地としては具合がよかった。何しろ片道4キロの通学路だ。下校時には金ちゃんの家にかばんを放り投げて、山に登り、川に遊ぶ事だ。

 

 川の釣りは子供の頃は理屈も分からず、はかばかしいものではなかった。じきに飽きてきて川の中に入り、釣るより手づかみのほうが事は早い。何しろ小川に毛が生えているのだ。

 

 あるとき散々遊び呆けて日暮れ時、お互い育ち盛りで腹が減ってきた。「なんか有るかも知れん」と金ちゃんが言うので、家の中に入った。

子供の口に合うものはなかったが、おひつに飯が有った。それは三人で貪り食う事だ。塩をまぶした飯がうまい。

 

 腹が朽ちて来た頃合だ、金ちゃんの両親が仕事から帰ってきた。三人を見るなりお父さんは金ちゃんを殴りつけた。

どういう事か訳が分からなかったし、あまりの剣幕に驚いてもいた。謝ろうにも気の利いた断りなど当時は持ち合わせてはいなかったので、立ちすくして事の成り行きを見守るしかなかったのだ。

 

 金ちゃんの家は在日の方で、それは小さな家が山際にへばりついていた。当時は差別があからさまにあったし、大人などあしざまに言う人もあった時代だ。生業はくず鉄屋で、山がマツタケの解禁になると山主が散々獲りつくした山に入って残り物のマツタケを採る。子牛の売り買いもやっていたように思うが此れは記憶が定かで無い。

 

 次の日学校に現れた金ちゃんはニコニコしながら、あれからひとしきり殴られたあとの青あざを見せてくれた。そこまでするのはどうしてかと、いぶかっていたが、どうやら三人が食べた飯は、金ちゃん一家の夕飯の宛がい扶持だったらしい。

 

  大人の都合というものはある。しかし気の合った子供同士、垣根などはあるものですか。金ちゃんはしばらくして一家がどこぞに引っ越して行っていなくなった。前日まで川で遊び呆けた事だが、これからの境遇の事など何も話さなかった。それきりの縁と言う事になった。

 

 金ちゃんのお父さんの、やり場の無い怒りとあきらめの表情はまだ時折記憶の中から出てくる。

それからだ、その時任せの感情で事を運ぶのに慎重になったのは・・・

 

 時折田舎に帰省して、ハヤを釣った川のあたりに来ると思う事がある。

 

 

あの日金ちゃん一家は夕飯が食べれたのかどうかと言う事だ。