どれどれ爺さんと年金の釣り
どれどれと割り込んでくる爺さんは、それはなかなかにしぶとい爺さんでした。
釣り場といいますのは多様な人がおりまして、若い人から年寄り、初心者から上級者、様々で御座います。こないだは、釣り方の本を見ながら釣っている人がありまして、釣れる訳は無いのですが、これも有りで御座います。
どの釣り場におきましても、コケが生えてサビが出たようなお年寄りの釣り師がいらっしゃるもので、御他聞に漏れず私どもの釣り場にも数人生きながらえております。
大概が、殺気立った釣りはなさいませんで、押しなべて穏やかな、枯れた釣りをなさいます。年季の入った釣りは少々の事では揺るぎませんで、釣れようが釣れまいがの構えなのですが、一旦魚が掛かりますと見違えるように元気になりますから、まだまだ現世には未練があるようなのです。
年寄りは大抵が年金暮らしの楽隠居、後はお迎えが残った仕事と言う事になっておりまして、最後の日まで毎日、日曜日で御座います。
釣りをする上でこれはかなり有利に働きますもので、どういうことかと申しますと、人出の多い日曜日など釣れるポイントがはっきり分かります。だれぞが良く釣った場所、どの餌で釣れたか、どの釣り方で、をちゃんと見極められるからです。
年寄りはそれを良く見定めておりまして、次の日「どれどれ、よしよし」とよいポイントで釣りが出来ます。その上日曜日しか来れぬ人など、釣り餌が余ったりするもので御座いまして、これを無駄になるからと年寄りに差し上げます。
よいポイントに自在に入れる上、餌代なども浮いてまいりますから、願ったりかなったりなのです。こうして年中無休、年中日曜日の年寄り釣り師は、一般釣り師をしっかり踏み台にして参ります。
「どれどれ」が極端に激しい年寄りがおりまして、我々はこの年寄りを(どれどれ)と呼びまして、共存しております。「おい、今日はどれどれが来よった」と言う具合に使いまして、本名などは放り投げております。
どれどれの特徴と技は、良く釣れている釣り師のそばに、にじり寄ってまいりまして、まず世間話の下地を作って「ほう、よう釣れとるなあ」 「どれどれ」と本題に入って、仕掛けを沈めてまいります。
まあ年寄りの事だからと、せっかく作ったポイントで釣らせて参ります。この辺は年の功、人あしらいは長けておりますので油断も隙もあったものではありません。
ある時、当日は釣りのほうはあまり芳しくありませんで、どれどれを交えて車座で国会討論会を行っておりました。
年寄りとはいえ適当なところで、行儀の一つ二つしておかねば付け上がるので、お灸の準備をする事です。
「魚が釣れんのは海の神様に感謝が足りんのじゃ、ここは一つ「人柱」でも立てて神様のご機嫌を伺おう」
「どれどれ爺さん、あんたは老い先短い、どうだ、皆の為に人柱になって海に沈んでくれんかいのぉ?」
と持ちかけます・・
「わしゃあまだ若い、あっちのにしてくれ・・」
「生贄の人柱は、若い生娘で無いといけんじゃろう」
「神様はわしのようなしわいのは好みじゃあない、うまそうな肉付きの奴がよかろう」
と、なかなかにしぶとく声高に抵抗するばかりで、海に入ろうとはいたしません。
煮ても焼いても食えぬ年寄りを生贄にしても、海の神様の怒りを買うだけでしょうから、今日のところはこれぐらいにしてやりますか。
なあ、「小野」さん!