「漁業と農薬」あるいは「漁薬」
久方振りに顔を見せた山ちゃんは、入ってくるなり「いけんわい!」と吼えますから、日頃弱音をはかない姿を見知っているこちらとしても、それは困るのです。
この男は余程困っても、いつもあっけらかんと困っておりまして、陸に住む我々ですと困った時にはどろどろと膿んだ困りようの事ですので、うらやましい限りの困りようなのです。
彼は漁協の理事ですから、人を指導する立場からも、困った顔など出来ないのかもしれませんが、それにしても眉間の縦皺は、今まで無い刻まれようで、事態がかなり深刻な事を物語っています。
「どうじゃそっちは?このところくらげが少ないで、定置(定置網)でひと稼ぎ企んだが、今度は魚が入らんわい。おい、なんとかせい!」
何とかしろと言われましても、こちらはまだ農水大臣の就任要請は来ておりませんし、神様に成るにはは修行が足りませんから、いかんともしがたいのです。
「今年はあきらめたら・・」といいましたら眉間の皺がキュッと萎んで深くなるのですから、これ以上の追い討ちはあきらめる事です。
職漁師の不漁はこのところ頻繁に聞きますし、釣りの方も昨年に比べるとはかばかしいものでは御座いませんで、それぞれ詮索してまいります。
瀬戸内海は海水の循環が他の海より悪いとはよく言われます。これに今年の雨量が作用して、どうも塩分濃度が下がっているのが原因だと、大方の落とし所は決めて、皆何とか安心している様です。
「海の水が綺麗になったのは知っとろうが、へえでも魚を育ててくれん」確かに綺麗になったようなのだが、魚の数は少なくなってあちこち差しさわりが出ている。
どうしてか?どうしたらいいか、関係者は頭を悩ます事だ。
「わしゃあ、いままで海洋汚染や、気象・環境変化が両に影響しとると思うとったが、漠然とじゃった。他人が汚しとると・・・」
「しかし、これだけ獲れんようになって、わしら漁師の側にも幾ばくかの責任があるんじゃなかろうかと、思うようになっての・・」
「責任というと何をしたんじゃ?」
「おうそれよ、色々有ろうが最近の漁業は薬漬けでのう、養殖も薬、海苔も薬、おまけにわしらの定置も、ゴミが付かんように網に薬を付けるんじゃ。漁師も高齢化が進んでのう、昔は人手で掃除したもんじゃが、魚が獲れた時代の事じゃ。魚も獲れんし経費から言うとこっちが安上がりでの、その上、手間要らずじゃ」
「ほう、そないな事をしとるんか?」
「これも原因かのう?」
あれこれ考えてみたところで、二人とも研究者ではないし、データなども持ち合わせが無いのでほんとの所は分からない。おそらくそれらが複合的に絡まって今の事態だ。
「まあ山ちゃん、わしが神様に成ったら、どうとでも好きなようにしてやるわ」
と言いますと「ほんまに頼むで!」と真顔で返します。冗談で和ますかと思ったのですが、そう返されると、こちらも身の置き場がなくなることだ。
会話の中で気になる言葉があった。山ちゃんは薬の事をしきりに「農薬」と言ったのだ。日常そういう使い方を頻繁にしているのだろう。
「農業」に使うから「農薬」なので、「漁業」に使うなら「漁薬」とは言わないのかと思ったのだが・・・・
話の流れからは切り出す隙などなかった・・・