台風一過・・仕切りなおしの釣り師
台風が過ぎ去り、吹き荒れた海の上と言いますのは燦々たるものが有りまして、川から流れ出たゴミや、島の山からの流木、漁師の漁業設備の一部とそれはにぎやかに海上を漂ってまいります。先日の釣行時には湯たんぽとゆりかごが漂っておりまして、いかなる経緯によって流れ出たものか、思いを致すところです。
釣り場の筏も物置と休憩所に使う小屋の屋根、それと便所の屋根が吹き飛んでおりまして、能天気な釣り師が、昨日の悪さは何んにも知らんと、そ知らぬ顔をして晴れ渡っている青空を眺めているのですから、これほどの平和もありません。
大風といいますものは人間にとって災禍をもたらすものですが、そこはそれ良くしたもので、海の底をかき回すと言います。それは何を意味するかと申しますと、底が荒れると住んでいる生き物が動き出します、それを餌にと魚が動き出します。
海の底の活性が上がると申しまして、迷信のように信じた釣り師が、動きの良い魚を狙って群がってまいります。
何のことは御座いません、日頃思うように行かぬ釣り師が、心機一転の仕切り直しには、丁度良い言いがかりにするのです。台風一過、水に流したところで、底の状態もよし。条件相整いましたところで、目出度く夢を見ることと成りました。そりゃあそうです、苦渋に満ちた過去など頭の中にはかけらも御座いませんから、悩み事の一切無い綺麗な心身で挑むので御座います。
迷える子羊成らぬ、迷える亡者に手を差しのべる神仏など有ろうはずも御座いません 。日頃の無頼の数々、神罰、仏罰を分け隔てなくお与えに成ります。
ここからは亡者どもが繰り広げた、馬鹿馬鹿しい世迷いごとをご披露してご機嫌を伺って参ります。
天井の無い筏の便所と申します物は、およそ工事現場の簡易便所くらいのもので、上は青天井下は床に適度の穴の開いた至って原始的な仕様に成っておりまして、素朴に用をたして参ります。時には大きな魚と目が合ったり致しまして、”何”をはさんでお互い気まずい思いをする事です。
さて気のいい若い衆が用を足しておりまして、何の邪心も無く無心に成っております。
そこに手持ちぶたさの上、陸でも、その上魚にも相手にしてもらえぬ、釣り師の一団が襲い掛かります。
筏の上に有ったロープで便所をぐるぐる巻きにいたします。
「おい青年、陸で何かしでかしたか?連絡が入って身柄確保を要請されたからな・・当局が来るまで出れんぞ」
「ないない。ない。やめてくださいよ」
「正直に吐け!お上にも慈悲はある!お父さんお母さんは泣いているぞ」
「洗いざらい吐いて楽んなれ」
「ほんとに無いですから、出して下さいよ」
「よし、出してやるから合言葉を言え! (山) 」
「 (川) 」
「残念じゃのう正解は (海水浴場)じゃった。もうそこにずっと居れ」
「よし、もう一回出すぞ・・(海) 」
「 (陸) 」
「残念じゃのう正解は (猫の額)じゃった。もうそこにずっと居れ」
合いの手は思いつきですから、いつまでたっても合う訳がありません。
台風の余波は人間をこうまで残酷に致します。散々暇つぶしをしたのですがこれにもじきに飽きてきまして、釣り師は又仲良く無駄な作業を繰り返すのでした。
この様な、なさけない様を繰り返す釣り師を見て、神様仏様の監視が一段と厳しくなったのは、言うまでもありません。