観音竹婆さんの結婚と釣り師
「あのなあ・・おってきゃあのお~」と観音竹婆さんは観音竹の鉢を引きずって訪れます。鉢の角は引きずったため、少々欠けておるような・・・
「ありゃあの、ええのおつかみゃぁたけえのこの植木がせごうできんよんなっての、あんたにゃあ、ぎょうさんさかなあもろうたけえ、こりょうあげらあ・・こんだあホボロを売らんようにええがぁにするで」
「あの、ご在宅でしょうか?
本日伺ったのは他でも御座いません、新しい連れ合いと住むことになってこちらにおられません、つきましては日頃お魚など頂いてお世話に成っておりますので、面倒を見られなくなった「観音竹」をあつかましいようですが差し上げに参りました。今度は離婚せず添い遂げる覚悟で御座います」とこの言葉をもっと上品にした言い回しで婆さんは来たのである。
世の中には気立てのいい婆さん。普通の婆さん。性悪婆さん。と有りまして、都合よく近所に配置されていることで御座います。
何をもって都合がよろしいかと申しますと、釣り師の場合釣った魚を食べますが、そう毎日と言うわけにも参りませんで、釣ったは良いが処置に困ると言う事に成って参ります。
では釣らなければいいではないか、ですと? いえいえ身の丈にしっかり身に付いた漁の面白さなど、刺青が入ったようなものなのですから、簡単に取り去れるようなものではありません。
元来、 採る・獲る などの行為は天の恵みを喜んで、際限なく成るのが常で御座いまして、どなた様もつい熱中してまいります。 「盗る」と言う事になりますと元手入らずで結構な事で御座いますが、三度の食事が臭いつきと言う事に成って参ります。これはいただけません。
さて件の観音竹婆さん、どうやら齢70にして新しい連合いを釣ったらしいのです。ご婦人方は灰になるまでと聞き及びますから、こう言うことも有るのでしょうが、よりによって。
三人の婆さんがあって、近所に住んでおります。3人とも一人住まいなのですが、そこはお互い身寄りの無いところとなって、助け合っております。二人はそこいらにあるごく世間並みの年寄りと言う事で御座いますが、観音竹だけは性格が少々荒っぽく乱暴で御座います。
性格が荒いのは、どうも若い頃結婚した主人が炭鉱の下請け会社を経営していたらしく、その頃しっかり身にしみた事らしいのです。
炭鉱の斜陽は実入りに響いて、それが元で一度目の離婚、二度目は書道の先生と所帯を持ったものの、荒っぽいのと物静かなのとでは水と油これも分かれてまいります。
色々有って今度の騒動ということに成ったのですが、これがあの荒っぽいのかと見まがうような変わり様で御座います。
詳しくは分からない。三人とも身内や親族、その上子供らしき姿の出入りも無いのですからどの様な事情なのでしょうか。 そのような事でありますから、この三人、性格はそれぞれ輪郭が激しく違うのですが仲がよろしい。
今度の事はどういう経緯か分からないし、新しい主人もどの様な人かも分からないが、婆さんしなを作って身体をくねらすのですから、「やれやれ!」と思うことなのです。
魚をばら撒いたはいいが、これから年を食うにつけ、残った婆さんの面倒など世話を焼かされる恐怖がふとよぎるので御座います。
釣り師が魚を釣ったはいいが、婆さんまで釣れたと成れば、これは決して腕の良い事ではありません。
せめて観音竹だけでも立派に添い遂げて帰ってきては貰いたくないものです。