瀬戸内に輝く銀歯 はためくパンツと奇妙な静寂
どちら様も残暑と言います事で、今の季節に幾分辟易とされているのではないかと存じます。
なあに そのうちいやでも寒い時期も訪れまして、あの残暑の頃が懐かしくなりますから、あいも変わらず無いものねだりと言う事で御座います。
釣場と申しますのは忽然と奇妙な光景が繰り広げられるので御座いまして、退屈だなと思っておりますと、にきびのように意外な出てまいり方をいたします。
釣りと申しますのは人間と魚のやり取りで御座いまして、どちらも生き物で御座いますから、食べてまいります。魚の食事時に乱暴狼藉を働こうと言うのですから、あまり褒められた仕舞いではございません。
魚も食べてまいりますが、釣り師のほうも生身と言う事で、食って飲んでと言う事に成って参ります。
どちらも喰ったら出るということが繰り返されるもので御座いまして、いたって自然な成り行きと言う事で御座います。
小太りはあまりこらえ性の無い方でありまして、釣りの端々に「えい!」とか「くそ!」と口を突いて参ります。
まあそのような方ですので、こらえ性も無く、冷たいものをがぶ飲みです。釣りとともに口のほうも絶えず動く事でありました。
災難と言うのはいつも予期せず訪れるもので御座いまして、小太りにも平等にそれは突然訪れた事でした。
「いてて・・あ・・あっ・・出る!」
喰ったものが悪かったのか、冷たいもののとり過ぎで腹を壊したのか定かの事ではありませんが、両の足をすぼめて突っ立っております。歯軋りしておりますから、銀歯がさんさんと降り注ぐ陽の光に「きらり」と輝きます。
そのうち足をすぼめたままトイレに向かいます。筏と言うのは数台をロープでつないでおりまして筏と筏の間は50センチばっかり空いています。小太りはこれを飛び越えようといたします。足をすぼめたままです。
飛び移るやいなや、「あふぁ~あ~」と声に成らぬ哀れな悲鳴が聞えてまいりまして、何のことは無い、無理な動きと衝撃でもらしてしまいます。だらしないのは上の口だけでなく、下のほうもと言う事に成りまして、修羅場と化すのであります。
人の不幸といいますものは、おかしくても決して笑っては成りません。横を向いてもです。殺伐とした釣り場に和やかな空気が流れてまいりまして親切そうな顔をした釣り師があれこれ揚げ足を取って楽しんでまいります。
「はい、多数決で決まり。その場で脱いで乾かす。民主主義じゃ!そうせい」
結論はそれに相整う事となって、小太りはズボンとパンツを下ろします。腰にはようやくぎりぎりのタオルが巻きつけられております。足はすぼめたまま汚れを洗い、最後は己が海に入って洗濯です。
瀬戸内はかっては源氏の白旗、平家の赤旗がなびいたものですが、華々しく旗なぞなびくのは漁師の大漁旗位であったでしょうか。
小太りの釣り座では日よけのパラソルにはためくパンツとズボン。椅子には前を隠す釣り師のタオルがひらり。とても後ろからは見られたものではありません。釣り師はそれでも時折銀歯を輝かせて釣りを続けております。釣場には下世話な好奇心と恥じらいの奇妙な静寂が支配します。
あまりに不幸を背負い込んだ釣り師を足ざまには出来ませんで、それぞれ笑いをこらえる事であります。もちろん帰り際にはその話題には触れたくても決して触れません。
とりあえず出来事はあってもなかったのです。
時間の程は掛かりますまい、帰り着いた釣り師の情報交換には必ずこの話は出るでしょうから。
いいですか皆さん決してこんな話を人にしてはいけません、貴方だけに教えた話ですからね。