備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

初秋の筏  釣り師と釣り人の折り合い

 

 

 秋の釣りシーズンを迎えます。シーズンと言いましても秋だけが釣りに適していると言うわけでは御座いませんで、秋の魚を釣るシーズンの事で御座います。

秋の魚はもちろん、同じ魚でも大きさや引きというものは違ってまいるものでして、シーズンごとの釣り味という事に成って参ります。

 

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 秋のシーズンは釣り筏の上も硬軟取り混ぜて賑わって参ります。

釣りをすると申しましても硬いのは釣り師で御座いまして、これは少々スレて薄汚れております。年中の事でもありますから特段珍しい事も無いので、浮き立つ気持ちではありません。それが落ち着いた平常心と言う事で御座いまして、表面から来る華やかさと沸き立つ高揚とはかけ離れてまいります。

 

 一方柔らかいのは釣り人で御座います。

こちらは年に数回程度でしょうから大漁を夢見て、上品に申しますとまるで繁殖期の猫

下品とも成りますとさかりのついた猫のように高揚してまいります。

成りのことなども色とりどりの原色系が多いものでして、金平糖の箱をひっくり返したようなありようで御座います。

 

 同じ様に筏に上がりまして、やる事と言えば魚を釣ってまいるわけで御座いますが、釣り人は魚が釣れるのを待っております。あわよく釣れたならそれを肴に今夜あたり一杯行きたいものだと、目論見が顔にしっかり書いてあります。

その目論見が顔相から消え去るのにさほど時間は掛かりません。確かに初心者に大きな魚、釣り師に小魚と言う事はありますが、自然の神様は厳しいもので競馬に負けて自棄酒を喰らっていらっしゃる時くらいしか素人に付け入る隙を与えてはくれません。

後は落胆のため息と上手の人を恨めしく眺める事となります。金平糖は水気を帯びて形など半ば崩れかけるのです。

鮮やかな着衣と気持ちの落差、鮮やかさはくすんで存在感が軽くなります。

 

 一方釣り人と違い釣り師といいますと、他人のことはお構いなし、今日の魚はどの様な喰いをするか、どうやったら釣れるか腐心の最中で御座いまして、これが目処の事などが立ちますと緩めては参りません。納得のいくまで釣り上げて後は余裕の行きがけの駄賃ということに成って参ります。こうなりますとくすんだ塊が俄然存在感を増してまいります。

余裕ついでに、よせばいいのに1分ばかりで上がる魚を2~3分もかけてやり取りして見せ付けます。 芸達者になりますとこれに途中 「うっと!」 「おっ・・!」とか合いの手を入れてあおりますから行儀と品のよろしい事で、人様の傷口に散々塩を擦り込んでまいります。

 

 釣り師の人の悪いのはせいぜいこのあたり事で御座いまして、釣りも仕舞いの頃となりますと釣り人に尋ねます・・

「魚いるかい?」

そうなんですよ、小さいのは逃がし自分の取り分以外は釣れていない人や入用な人に差し上げるのです。どちら様にも引き取り手が無ければ逃がすだけです。

 

 釣り師と釣り人、肌合いと色合い違いでは有りますが折り合いは付いてまいる事です。

 

 釣り師の中には魚の入用を尋ねず、これ見よがしに放流する者が有りますが、これは余分です。

 

 

 

 

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