あこう浪士血風録 その2
私の主人、皆さんもうお分かりでしょうが、これが何処でどう目覚めたのか、悪魔の趣味に魅入られ、無類の釣り好き、明けても暮れてもやはり取り付かれております。
私など犬の世界では癖は有っても趣味など持ちません。主人をはじめ人間は変な事をするもんです。
我々には到底理解できる事ではありません。日々これ平凡にすごし昨日の事も明日の事もあまり考えない、今が大事の生活を送っていると、人間様のすることは無駄な事に一喜一憂しているとしか思えないのです。
その釣り好きな主人の釣りは海上の釣り筏に上がりこみましてね、あこうという魚を狙っておるのです。
他の人はチヌとかいう魚らしいのですが、何しろこのあこうという魚、手前味噌なんですが上品でおいしい。
ただね「幻の高級魚」とか言われて、いかんせん数が少ない。珍魚の部類に入るらしいのです。
主人はこの上品さが自分にぴったりだと言い張るのですが、周りの者はなぜかそっと話題を替えるか目を逸らすのです。どういう訳なのでしょうかよくは分かりませんが、主人と言えば他人の思い等にはお構いなしで、この魚ばかり狙っております。
主人の腕ですか? わかりませんなあ。なにしろ普通にあこうを狙う釣り方と違って、短い1Mばっかりの竿でチヌとかいう魚と同じ釣り方をするらしいのです。
どうもこんな釣り方をするのは家の主人だけらしく、同じ事をやる人がいない、つまり比べようが無い事ですので腕の程は分かりません。
「オリンピックの種目に成ったら金メダル確実。何しろ参加者はわし一人しかおらん」となにやら訳の分からない事をわめいておりました。金メダル級なのでしょうか?
人間の趣味が高じるということはここまでする事なんでしょうか、「あこう浪士」とかいう別の名前まで準備して騒いでおります。まったく人間様のすること馬鹿馬鹿しすぎて理解の範疇を超えています。
あっといけません!へたくそ釣り師おじさんに尻尾を振らなきゃぁ・・・。
「おい、なんかくれ・・」
「おうゴンちゃん、可愛いのう今日はな~んも無いでな、今度おやつを持ってきてやる」
主人のところには同好の志とやらの来客がよく有ります。これが何をするかと言いますと、大概は傷の舐めあい、自慢のし比べ、他人の悪口と相場が決まっています。
これを外から眺めておりますと、何でそんな事に腐心して一喜一憂しているのか分かりません。ただの変態にしかどう見ても思えないのですがね。
へたくそ釣り師はいつも調子はいいのですが、今度くれると言うおやつも今まで一度だってくれたことはありません。いつもうわべだけの口約束は巧みに撒き散らすのですが、鼻毛がいつも数本出ていますから、どこか人格が欠落しているのかもしれません。
「おい鼻毛はみっともないから抜け、人様の手前というものが有るぞ」
と言われ、そりゃそうだと納得はするのですが、今まで手入れしたのを見たことがありません。
へたくそは今日もあぶれついでに、主人の元を訪れて、どうやら情報収集やら手の内を覗きに来たに違いありません。
主人はへたくそ相手ですと優位に立てるので、好んでもてあそんでおります。
これは人間世界では人が悪いと言うんでしたかね。
「おう! 来たなへたくそ!」
へたくそが部屋に入るなり主人はこう言い放ちます。なんという言い草でしょうか、完璧に見下して、これから玩ぶ喜びに満ちております。
主人は先程から表情が和らいで、釣りにいけぬ鬱憤晴らしの格好の獲物を駄菓子やお茶で囲んでおります。
どうにも逃がさぬつもりらしいですこれは。
「大体お前さんの釣りはなぁ・・・・・」
とうとう始まりました、見ちゃあおれません。お母さんに朝食の催促でもしましょう。
その3に続きます・・・・・・・・・・・・・