釣りを始めてみたい! はい大丈夫です狸でもやっております。
秋の季節にあい成りまして、世間様ではあちこち出向かれて活動的な時節と成って参ります。
出歩くのは目的地など予め粗方が分かっている所ということが多いものであります。
釣りなどと申しますのは、場所は分かっているけれど中身に至ってはこれが丁半博打、
釣れれば米の飯、釣れねば空き缶拾い程の落差が程よく身にしみるものですから、おいそれとは行きません。
何せ人間様が釣りをすると成りますと、やれ道具だの弁当だのと始めから終わりまで隙間無く準備が入用で御座いまして、忘れ物の一つでもあった日には泣きの涙のしぐれ雨、肩を落として濡れそぼるしかありません。
小さな針一本でも忘れようものなら、釣りなどどちら様におすがりしようと成り立たないのですから、仕込みと言うのは大事と成って参ります。
さて釣場の対岸、本日も狸の「ポン吉」が現れて釣りを始めます。
釣りは魚に餌を食わさねば成立しないもので御座いまして、その魚とやら,のべつ食うというものではありません。どういう仕掛けかと言いますと魚には時合いという餌を食べる時間帯が有りまして、潮時ともいいますがこの時間帯でないと口など使うものではありません。
ポン吉はこの時合いをよく知っておりまして、大きな魚 強い魚が食いが立ってきますと小魚がそれから逃げようと浅場に寄って来ます。それを釣り上げる次第です。
釣りと申しますか手づかみなのですが、器用に捕まえては口に運びます。これがポン吉の釣りです。
また魚が寄りやすい場所もよく知っておりまして、道具を持たぬ違いが有るだけで立派な釣り師です。
魚を獲ろうといいますのは動物も人間も同じでして、人間の場合動物のようには俊敏に動けませんから工夫した挙句釣るので御座います。小魚ぐらいの事でしたら本来は道具など入らぬものです。
野生を忘れた人間には道具と言う武器が御座いませんと、魚など水を得ているのですから捕まえるわけには参りません。
ポン吉は早々と釣りを終えると、釣れぬ釣り師をさげすんだ目でちらりと見て山にご帰還です。あざけりの目線で見下された釣り師の心中たるや狸に出し抜かれた悔しさで充満しております。狸のように手早くは行かないのです。
どうです、狸さんでさえ手軽に巧みに出来るんですから、釣りなんか簡単なものです大丈夫ですよ。
今から言う事を耳の穴をカッポじってよ~く聞けば大丈夫です。
人間様ですからまず竿と仕掛けと餌を準備願います。 は~いこれでお終い。
どうですこれで釣り人の完成です。適当なところに行って釣るだけです。
え? 親切が足りないですと?何々心配御無用、こっからは自分の頭で考えればいい事ですから何の心配も学歴も要らぬことです。
釣れた人は釣れた理由を考え、釣れない人は釣れない理由を考える、分からぬ事は人に聞いて、足らずの道具は買い足せばいいだけのことで、後は時間と経験が足らないだけですから。ご安心めされい必ず釣れてまいります。
何事も一足飛びになどと姑息な事はいけません、技術の要る事はいずれもこの手順と憲法にも書いてあるのですから、外れるわけには参りません。要は自分の頭で考えておりさえすれば自然とうまくなるものです。
そこでです、立派な釣り人と成られた諸兄及び紳士淑女の皆さんは決して釣り師になろうなどと考えてはいけません。
釣り師などといいますものは、かなりの部分を投げ捨てて寝ては醒め、醒めてはうつつ幻の・・のごとく頭の中を支配するのは釣りばかり、まさにこの道で行くと己が身体を沈めねば成りません。まさに行く道修羅の道で御座います。どの様な道も同様のものでは御座いますまいか。
とは申しましても釣り師と成りますと、ある程度に成ったところで、これがたまりません。蜜の味なのです。職人世界も釣り師の世界もこれほど達成感と優越感に浸れる世界は御座いません。
さあ、こっちの水は甘いですぞ、おいでなさいな悪魔の趣味の世界へ