備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

釣りは今日どう釣るか これからどう釣るかであって、決して過去の釣果をひけらかすことではありません。

 

 

 空を見上げますと覆いつくすのは女心ばかりと成りまして、秋で御座います。

釣り師も気がはやる季節と成ってまいりまして、益々成り立ち様が世間様とかけ離れる事と成って参ります。

 

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 この時節に成りますと釣り師の頭の中は,それは釣りのことばかりで御座いまして、世間向きのことは上の空、言われることなどてんで眼中に無い事となって、ずれた返答しかいたしません、ここいらが一般の常識と行き違いとなってまいるところです。

 

 一般社会と行き違いと成った集団が今日も渡船場にたむろ致します。新手の顔やなじみの顔、それぞれに思惑などよこしまに抱えておりまして、虎視眈々とお互いの手の内を探ったり、知らぬ間柄ですとそれぞれの力量を値踏みいたしております。

 

 自然と小さな集団が出来て参りまして、与太話から釣りの話、はたまた下世話な話まで花が咲く事です。

浪士様は先日のへたくそに、鼻で息をしながら集中するように偉そうに講釈を垂れております。へたくそは口が半開きで釣っておったのが気になって、厳しく指導するところですが、話を聞きながらやはり口が半開きなのはどうにもいただけません。

 

 聞くとはなしに隣の集団のはなしが耳に入ってまいります。

 

「いつぞやらは何処やらででかいのを大釣りした。どこそこは魚がおらん」

「あそこでいい目をした、でかいし引きも充分、数も出た」

 

どうやら隣は過去の手柄をひけらかす集団らしいのですが、この手合どこにいっても一定数おりますもので、嫌でもまとわり付く税金のようなものなのです。

 

 これらの釣り師、腕はどうかと言いますと決して上手ではありません。並みの並あたりのところで御座いましょうか。それは以前良い目をした所で釣ればよいものをここいら辺りまで出っ張ってきているのですから、その箇所では限界で有ったということです。

本手の本筋に掛かりますと、何とかして釣り上げるものでして、釣れない場合はそれこそむきになって対策を考えることです。どうにかして釣りこなす、ここに釣りの妙味が有るからに他ならないのですが、前述の釣り師のみなさん努力する前に適当にあきらめてまいります。

これではある程度の中途半端な釣りしか出来ません。腕のほうもそれなりの半端という始末で御座います。

 魚が居ないと言っても、そんな理屈は通じません。なぜならね海はつながっているからです。その日居ないからといって周回してくるものですよ。

結局寄せが甘いのを棚に上げて、海と魚のせいにしてまいります。

釣れないということは自分のせいなのにです。

 

 その日釣りを終えて渡船で船着場に帰ります。

以前よい目の釣りをした釣り師は釣れたのかですって?

 

 それは分かりきった事で、振り向くのもわずらわしい事です。

 

 

 

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