備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

「年金釣り」の釣り師 あんたのはわしので わしのはあんたのかい!

 

 

 段々に秋の気配が深まるところで、釣場と申しますのは釣れる魚が変わってまいりまして、これを追いかける釣り師も少々、面のすげ替えなど起こってまいります。

瀬戸内はこれから段々にメバルのシーズンに成りまして、毛色の変わった釣り師が出没して参ります。

 

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 魚と言いますのが種類によりまして性格が変わっておるもので御座いまして、一年ひと日のごとく同じ事をやっていたのでは釣れません。魚の性格に合わせまして餌、仕掛け、釣り方など随時替えてまいります。

 

 一つの魚ばかり追いかける人でありますと、シーズンが終わると竿を納めてまいりまして、又来年にということに成って参ります。釣り師の冬篭り、冬眠とも申しまして、深い反省と新しいシーズンの仕込みと言う具合で御座います。

 

 古林さんと言う人が有りまして、メバル釣りなど異様に好みまして釣ってまいります。シーズン到来と成りましたところで、ようように顔を出して参りました。

この方はとうに定年退職をされた方でして、年中日曜日、正確には年金を貰っておりますから年中有給休暇と相成りまして、釣りしかする事が御座いません。とは申しましても世の中これと言った趣味など持たぬ人が数ある中、やる事が有って頭など使いますと老化の加速はゆるくなると言うものでして、ありがたくも幸せな事です。

 

 古林さんの釣りは、年金の中からやりくりをするので大変だと言いますが、なになに道具などかなりの仕立てで、とても爪に火をともしたぐらいでは追いつかぬものです。それになんといっても新しい物好きで、新製品など発売されますとたがわず日を置かずして道具箱の中には入っております。これで大変なやり繰りをいたしておるのでしたら、奥さんなどとうに干からびてミイラに成っているのは必定です。

 

 「年金釣り」と言う事がありまして、釣りをするには違いの無いところで御座いますが、一般の釣り師とはちょいと性格・趣など異にしてまいります。

何しろ年金組みといいますのは年中休みですから、釣行など思い立ったが吉日何時でも可能です。まあ何処でも出てくるすぎなの子というわけです。

そこに行きますと、仕事のある人などそうは行かぬものでして、思い立って釣りなどよほど気の効いた仮病か言い訳で取り繕って参りませんとそれは不可能です。

 

 古林の釣りは釣り人の多いときに出向いて参りまして、釣れる魚・えさ・仕掛けなどそれは入念に探索捜査して参ります。その日は別段釣れなくてもよろしい事でして、人の少ない日に再度出向いて参りまして、根絶やしに成るかと言うぐらい容赦なく釣って参るのですから、とても枯れた老人のやる振る舞いでは御座いません。

 

特にメバル釣りの人など、乗船名簿を繰りまして爺さんの名前が有りますと、釣場を代えてまいります。草木も生えぬ釣り場で誰が酔狂な釣りなど望みましょうか。

 

 古林さんと話をしております。この方爪に火をともすと言いながら結構散財いたす所ですが、えさの川エビは自分で獲ります。籠をいくつも川岸に沈めまして朝早い時間に揚げます。毎日の日課に成っておりまして運動がてら川エビを集めて参ります。

 

「ある時からとんとエビが入らんように成ってのう、おかしいどうしたもんかと思ったんじゃ」

「せえである時川原を歩いとったら他の人が籠を沈めとる、どないな具合じゃと思って揚げて見ると、これが仰山はいっとる。わしのに入らんのはおかしいじゃろう」

「絶対わしの籠から誰かエビを抜いとる、抜かれたら抜かにゃあのう」

 

こうして自分のはいつも抜かれるが、他人のを抜いて帳尻を合わせております。しばらくの後、敵と遭遇いたします。何のことは御座いませんで、知り合いの釣り師で御座いました。その敵これがある時エビを抜かれたのが始まりでして、以来自分のは当てにできぬと古林さんのを、古林さんはこれまた自分のは当てにできぬと敵のをせっせと揚げて参りまして、お互い納得のいくところでございました。

 

「他におるんじゃ籠を揚げる奴がな、それからはお互いの籠に戻ったんじゃが、場所を替えてな・・油断したら根こそぎやられる」

 

 「年金釣り」で根こそぎさらえる我が身が分かるだけに、何処までも用心な事だ。

 

 

 

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