備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

そりゃあ持分でそれぞれ都合のあるところだ

 

 

 人様には様々持分と言いますものが有りまして、それぞれ腐心いたすところで御座います。

一人の人間が全て仕切って執り行うなど、それは不可能な事でそれぞれの本手にゆだねるところと成って、お互い不足のところなど補って参ります。

 

 

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 釣り師にいたしましても、何から何まで全て自分で賄うなど出来兼ねる事でございまして、餌なども手持ちぶたさの行きがけの駄賃程度には、自分で調達するところですが、これが毎度毎度の事となりますと大層な労力と言う事に成って参ります。

ここは餌を獲る人運ぶ人、その又餌を使う人などと成っておりますところで、それぞれ便利に折り合いが付いております。

 

 

 釣り師の釣った魚が、これまた都合よく人様に宛がわれるものでして、魚を釣る人運ぶ人、それを料理に作る人、最後に只々食べる人、等と分かれるもので御座います。

これを見ますと釣り師など、ぽつねんと捨て置かれるところで、とても割に合う置かれようでは御座いません。

 

 

  姫谷さんと言うじいさんが在って、若い時より散々賭け事の年季を積んでまいります。

これが同じ人と、3度結婚して参る事に相成ります。大概が賭け事に愛想を付かされるところで出ていかれるのですが、いつの間にやら元の鞘に帰って、世間をいぶかしがらせます。

 

戦後、家具屋を始めたところこれがうまく行く、もっと金が欲しいと欲深いところで家具を作り始めます。これも上手く行ってこちらの才能はあるところだが、いかんせん好きな博打の才能が人様より劣っております。好きなのと上手と言うのはまったく別物で御座います。

たまに勝つのは慈悲有る神様の目こぼしで、そこは容赦なく巻き上げられます。

奥さんはなまじ事業から来る経済力があるばかりに帰っては来るのですが、やはり神様の収奪が激しく音を上げるのです。

神様の御宣託は、正業に立ち返れと言う事なのですが、好きなものは理屈では御座いません。

 

 「ええか言うちゃあいけんど!」

 

と念を押すところで謀議は進んでまいります。

盛んに負けるところで背水の陣、 瀬に腹は替えられぬところまで追い詰められて集まったのが騎手数人と、金主、馬主に厩舎の親方、揃っていないのは馬だけと言うところで、飲めや歌えのあと、福山競馬で八百長を仕組むところとなって参ります。

 

 「ええか言うちゃあいけんど!」は絶大な効果をもたらし、謀議を凝らした面々がそれぞれあちこちで「あんただけに教えてやる、ええか言うちゃあいけんど!」と言いふらす物ですから、当日のオッズは人気薄の馬が目も眩むばかりの人気。

これを見た一般客が、何か企んだなと相乗りと洒落込みますから益々目が眩んで参ります。

 

 結局、走らない馬はどう鞭をあてがったところで、どだい無理な話「走らんもんは走らん」のです。走らん馬は他の馬が加減したところで走りません。

異常投票が疑われ、それぞれ競馬事務局から必要に聴取を受ける羽目に成った面々、それから2~3年は目が死んでおったそうだ。

 姫谷さんの奥さんがこの時も出奔したのだが何度目の時であったのか定かではない、このときばかりは元の鞘に戻るまでが、かなり長かったらしい。

 

 たんすの引き出しを引きながら

「騎手、調教師、馬主に金主とそれぞれ都合が有ったがな、馬の都合もあった事じゃて。お・馬もな、腹が痛いこともありゃぁ、気に入った娘が一所に走るとなりゃあ、競争どころじゃあなかろう」

「打ち合わせのとき馬も呼んどきゃあ良かったのぉ」と笑う。

 「戦後が落ち着いた頃はどさくさ紛れでやりたい放題だったのう」

 

 姫谷じいさんは、少々癖のある味がする黒鯛の塩焼きが好きで、これを箸で極小量つまみながら時間を掛けて日本酒を飲む。

 

「あんたにゃあ魚を貰うんでなあ、こりょうあげらあ」といって引き出しを見せるのだが、その中にはかなりの量の精力剤と怪しげな・・・・。

 

 何の用向きで、いつ使うのかは詮索が憚られるところだが、それぞれ都合のあるところだろうと思うことだった。

 

 

 

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