備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

「勝馬」の爺さんの競馬予想

 

 

 

 同じ釣りをするにいたしましても、そこは上手と下手ということでございまして、衆目の納得するところで、容赦なく分けられるのです。

これは釣りに限った事ではありませんで、何事も上手、下手の仕分けが行き届いております。

 

 上手と言いますと最初からそうであったかと言いますと、どうしようもない天才を除いて、どちらもやはり駆け出しと言うのはあるものでございまして、浪士の野朗がまだ釣りを始めて間が無いころのことでございました。

 

 

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  「土手の柳は風任せ、可愛あの子は口任せ」などと、いい加減なパチンコ屋さんの店内放送が二時間おき位にはまだ有った頃、ここ福山にはまだ福山競馬が存続しておりました。

 

 馬主別当の君さんの手引きで勇躍競馬場にいきます。そこは博打場でありますからさぞかし殺伐としたとこだろうぐらいには思っております。荒くれ者に鉄火場の緊張感、森の石松に八尾の朝吉、我らが座頭市に唐獅子牡丹を背負った建さん、さぞやこんなのがごろごろ居るものだとそれは思っておったところ、あれ!微塵もその気配がございません。

 

 そこには隣のご隠居や年金暮らしですることの無い人、はたまた仕事を一寸さぼった普通の人に極普通の人がいただけですから、これは随分当てが外れて参ります。

 

 まあこのように当てが外れたところですが、少しばかり事情が分りますと居るは居るわ、日頃見たことも聞いたことも喰った事も無いようなのがごろごろ居るのですから、競馬もおもしろうございますが、うごめく人間も面白おかしい事に成って参ります。

 

 

 この頃釣りを始めて早三年、他の人には釣れるがこちらにはまるで愛想が無い、こりゃあ生まれながらの才能が無いのか、あの悪さかこの悪さが悪かったか、初詣の賽銭をケチったばっかりに神様の野朗さてはそっぽを向いたかなどと、それは考えております。

その様な埒もない事を考えながら、それでも毎回あれこれ試しております。そしてある日を境に怒とうの勢いで釣れだすのですから、これは天賦の才があって善行の賜物、下手な神様など下に考えるのに時間は掛かりません。

 

 安物の思い上がりで釣りは面白い、競馬は複雑で覚える事、観るもの聞く物皆面白い、ここまで来ますと競馬場を舞台の推理小説ばかりを集め始めますから、忙しく面白く眠いのです。

 

「君さんあの男はなんなら・・・・?」

「ありゃぁ小学校も満足に行かんで読み書き出来んのじゃ、日頃は馬屋の馬糞の掃除で生きて行きょうる。競馬が有るときゃあ、ああやって当たり馬券が落ちとるのを探す(ひろいや)じゃが。ありゃぁ他所じゃあ生きていけん、そっとしといちゃらにゃあいけん」

 

「あっこに居るのが近ずいて来たら気い付けにゃあ、ありゃぁスリで」

「あっこに居るのがコーチ屋で親切げに買う馬券を教えるんじゃ、当たったら教えたんじゃけえ金寄越せと言いよる」 

 

「君さんありゃあなんなら・・・・?」

「予想屋じゃが・・100円でそれぞれ予想を売りょうるねえ」

 

 

 「勝馬」と書いた台の上の小柄な老人は利かん気の強い顔で、迷える客を見下し自分の予想以外は鼻くそ扱いで、絶対的自信で予想を売っております。

見下すと言いましても爺さん背が低いのですから客との目線の違いはわずかな事なのですが、眼光鋭く異彩を放つのですから存在感は絶対なのです。

 

競馬と言いますとその内自分の好みの競馬をする馬を贔屓にし始めます。

なんと言っても後方一気の追い込み馬、これほど華やかなものもございません。どん尻を走りながら3~4コーナー辺りから一気の足でごぼう抜きが決まった時の爽快感、これはたまらぬものが有ります。

ゲートが悪いが決まれば他を寄せ付けぬのも有ります。飛び出しを防ぐのに食うものも食わせず走らせる手を取るのだそうで、いずれにせよ個性の抜きん出た変り種をそれは贔屓にしたものです。

 

  勝馬の爺さんは予想は黙って買わせて口などは挟ませません。客の腰のふらついた質問など容赦の無いところで、気の効いた質問には我が意を得たりと雄弁饒舌になるのですから、独りよがりの自分勝手な予想と成るのです。

爺さんとは好きな馬がどういうわけか同じようなものが多く、これが馬が合うということなのでしょうか競馬場にいきますと必ず爺さんの予想を買っておりました。

 

 この爺さんの予想、何時しかまったく当らなくなります。その内爺さんの姿が見えなくなって・・・

 

「君さん、勝馬の爺さんどうしたんなら」

 

「病気で寝込んだらしいが復帰はもう駄目で、最近は痴呆が進んどってのお、予想も前の日の新聞や去年の出走表で予想し取ったらしいで」

 

四コーナーからゴールまで、あれだけ興奮したものが、惰性で観るようになって競馬場からは足が遠のいた、個性的な馬も見かけなくなったし釣りの面白さが分りかけた時代でもあった。

 

 

 

 

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