釣り師と進歩 「ぽっくり死にたい」
近所の婆さんは「私しゃあもう思い残すこたあ無い、いつお迎えが来てもええ」とか、散々やりつくして現世には何の未練もないと申しておりますが、なかなかどうして、空き店舗でかなり如何わしい(あおり販売)の無料景品目当てに先頭に並んでいますから、油断はならないのです。
婆さん曰く、彼女たちの話題といえば 「嫁の悪口」 「あっこが痛い、ここが痛い」 「ぽっくり死にたい」がベストスリーんなんだそうな。
長年この順位に変化は無く、止め処も無く、時間の止まった話が枠を外れることなく延延、続きます。 まてよ、どっか心当たりがあるような?
釣りを私の趣味です、と言い始めてから釣れる日、釣れぬ日そりゃあ色々あります。どんな名人上手でも色々あるのです。潮回りが悪かったり、赤潮、地震と自然に翻弄されるからです。悪魔のせりふ「ぼうず」どんな名人にも、等しく取り付いている税金なのですから、払わないわけには行かないのでした。
普段はとても穏やかなのですが、峠さんは趣味の釣りのことになると豹変して暴君になります。猫が虎に化ける・・・いえいえ獣のようになるのです。家人にも付け入る隙を与えません。明日釣りに行くとなったら行くのです。
「明日子ども会の遠足、付いて行ってもらえる?」
「・・・・・・・・・釣り!だめ!」
峠さんには、その日暗雲が漂っていました。恐怖の「ぼうず」 そう税金の支払日だったのです。
「あらお帰りどうだったの?」
「ぼうず。田島の橋が工事中で行かれなんだ、白石に行ったら赤潮で釣れなんだ」
「あら、子ども会の遠足、私たちマイクロバスで椿を見に田島に行ったのよ・・橋、通れたわ。何処行ってたの! ほんと魚釣りなの!」
獣だった峠さんは釣り場から帰る途中、ちゃんとした猫のようになっていました。奥さんから止めの詰問を受けた時、猫は塩をかけられたナメクジになって、心臓が止まっていたのは言うまでもありません。
峠さん、いくら聞く耳持たないからって、ちったあ会話しておくべきでした。
あれが原因、これが悪かった。釣り師の言い訳は経験を重ねるごとに多く、これを巧妙に使いわけるようになります。
言い訳と釣り師の腕は経験と共に上がっていく。
世界中の釣り師に取り付いた悪魔。これを振りほどこうと、釣り師総掛かりで工夫しても呪縛から、いまだ解き放たれてはいません。道具の進歩はあっても釣り師の進歩はここで止まっています。今だ同じ言い訳の使いまわし、止め処も無く続いています。
「ぽっくり死にたい」この言葉以外は全部使います。
さあ釣りだ! 勇んでいると、悪魔の手先、早起き婆さん
「釣りかい?、あんた飽きもせず、よう呆けとりなさるなあ~」
と、かなり切れる匕首を突きつけるのである。
この婆さ、新鮮なフグでも釣ってきてやらねばなりますまい!