備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

「山頭火」の釣り

 

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 野良猫が床下に住み着き子を育んでいる。気の小さい私などは目が合うとつい餌をやりそうで、ここは一番、無視を決め込んでいるのだが・・・・

 子猫は屈託無く終日飛び跳ねている。野良だけにこの後過酷でなければと思うしかない。

 

 

 まだ日中は夏を引きずっていて、釣りをする事など少々過酷である。 若いときなど終日釣って、まだ釣り足らぬおもいをした事だ。

 年齢とともに競う釣りがわずらわしくなり、他人の釣果もさほど気にならなくなって自分が納得できれば良い一日と思えるようになった。知らず知らずの内に枯れた釣りになっているのかもしれない。

 

 最近読み返した本の中に「種田山頭火」の本がある。 一度読んだ本はおおむね理解しているつもりでも、読み返すと新しく気づくことや発見がありこれは楽しい事だ。今回読み返したのは、ある釣り雑誌で紹介されている文の中で解釈が私の思い込みと違っていたので、古本のホコリをはたいてみたのだ。

 

 山頭火を知った頃釣りを始めたので、どういうわけか意識の中にセットで同居している。当時は釣りと山頭火は関連付けてはいなかったのだが、今回釣りに関する記述と、句があることを発見した。好事家の方には常識だろうが、新鮮な発見だった。

 

 

          「水底の太陽からつりあげるひかり」

 

 釣り師にとって魚はひかり、なんと鮮やかな表現、まさに釣り師はそう感じるのです。釣りは猜疑心の中で釣り、魚がかかった時、暗が明に転換します。その魚が魚体を見せ始めたとき・・・「きらり」・・まさに ひかり なのです。

 

 釣り師は魚を釣り上げるとき三度 光を見て打ち震えます。

 

一度は魚をかけたとき。 暗から明に内なるひかり・・

一度は浮き上がる魚がきらり。 

一度は魚を手にした魚が放つひかり。

 

 山頭火、が釣りを始めるきっかけは釣りを始める一週間前に自殺を図ったという事らしいのでことは辛辣です。詳細は省きますが、この後は 句 酒 水を愛した一生でした。 日記の記述の中に、魚を釣って食べる楽しみに期待する箇所があります。釣りは生きながらえるための、命をつなぐ行為でもあります。

 

 山頭火はまた言います。 釣りは逃避行に最適だとも。しかし魚の放つ小さなひかりは命を永らえるのにささやかな光明につながったと思いたいのです。

 

 魚のともす小さなひかりは大きいと。