とびの釣りと釣り師
その人の前に出るともの言うことも逆らうことも出来ません。じっと命令を聞くしかありません。
平尾さんは背中にそれは見事な刺青のある人で、龍がどくろを巻いてにらみつけています。他人が刺青が怖くて黙っているのではありません。卓越した仕事の進め方が黙らせるのです。 指図は無駄がこれっぽちも無く、緊張感を強いられるので事は円滑に何事も無く進みます。これに黙るのです。
釣り師殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいい
ところがどっこい、雨の日には屋内で極上の釣りだ!
宮大工というその道では熟練と経験が格段に要求される職種があります。
平尾さんはその宮大工付きの梁とびだった。神社仏閣の新築から改修工事までお互い金魚の糞のようにくっついている間柄だ。
とび職と言うのは建物の梁をつないでいく梁とび、重たい物を吊り上げ運搬する重量とび、家を動かす家引きに、主に分かれる。その中で宮大工付きの梁鳶となるとこれは花形中の花形だ。
災害時大きな構造物が危険な状態になると、自治体から指名でお呼びが掛かる。胆力と適切な判断を請うて来るのだ。
「まーちゃん」といって可愛がってくれたのは出所が近かったせいもあるが、こちらが知らぬ世界をひつこく知りたがって、話を聞きたがったのもある。話の波長が合ったのがめんどくさがらずに教えてくれた理由だろうと今では思っている。
平尾さんは解体補修の工事があると終日建物を眺める。得心が行くまでだ。
「まーちゃん建物はな、まず見る、何を考えて造ったか分かるまで見る、眺め取るうちに分かるんよ」
「仕事はなあ最初から最後まで手順を踏んで隙間無く考えるんだ。頭ん中で手立てが整ったら、 あとは真っ直ぐだ、わき目の一分も振っちゃあいけねえ」
繰り返し教えてくれたことだ。
まず細い、贅肉の付かぬしなやかな身体は動きに無駄が無い。足首などはこれでもかというぐらい綺赦だ。両の額は剃り込みが入って、隙を見逃さない眼光は片方がガラス球の入った義眼だ。若い衆のシノ(番線を締める先のとがった鉄棒)が落下して右目を襲った。一言も発せず平然とシノを抜き、病院まで歩いていったのが語り草になっている。
平尾さんは高いところではもう仕事をしない。目張りの効く所に突っ立って細かい身振りの指図をするだけだ。譲る隙を持たない宮大工も、平尾さんの領分には立ち入ら無い。お互いいやになるくらい隅々まで分かっているので言葉少なですむ。
鳶の釣りはシーズンが短い。平尾さんの釣りはノリ網が撤去されるや否や船を繰り出してノリ網の下に居るカレイを釣るのがその流儀だ。ひととうり底をさらえたら、シーズンは終わり、誰がなんと言おうと他の釣りには手を出さない。若い頃は鮎の友掛けをやったそうだが今は一途だ。
「ノリ網の下は低引きが効いとらんじゃろう、えさも上から落ちてくるし、カレイは溜まっとるんじゃ」じっと現場を眺めていた鳶の短い釣りシーズンは終わりだ。
自分の釣りを組み立てるに付き、平尾さんの言葉は背中の刺青の龍のように絡み付いてくる。