備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

「岸壁の父」と釣り師

 

 釣り場におきまして風の向きを図ることは大事な事でして、これを読み間違いなどいたしますと、散々な目に合うという事になってまいります。

 

 竿の先が風で揺れますと魚信など分かりませんし波などで釣りづらくなってまいります。「風裏を釣れ」といいますのは釣りでは定石で御座います。

 

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 釣り師は釣れぬ時間帯になってまいりますと、気の置けない仲間内などでは「悪口」を言い放ってまいります。このときも風の方向はよほど注意をいたさねばなりません。

 

 釣り場では風の向きなどによりますと、対岸の声が良く聞こえてまいります。風は音を運びますから悪口にも方角があることになります。  上手の釣り師の高等技術に「悪口は風上に言え」というのが有りまして、これですと悪口も届きにくいこととなってまいります。 下手に揉め事になってもいけませんからよほど注意することです。 悪口を言わぬのがよい事は言うまでもありませんが・・・

 

 渡船場で釣り師が出船を待ちながらたむろしております。港の堤防には今日もあのお父さんがお見えになりました。

 

 今日も来ました今日も来た、あの岸壁の父は釣りの覚え始めだ。なんにつけてもぎこちない、無駄な動きが多い上、手順なども流れる様にはこなせておりません。このところ我々の釣りの周期と妙に一致する。ですから朝方この人の釣りをなんとなく眺める風という事になってまいります。

 

 技術の裏付けがないのですから、見逃したのか其れとも釣れないのか、一向にこちらの目には釣れた魚が入ってまいりません。この人の釣りはふかせ釣り風なのですが、やるべき手順を踏んでおりません。ただ闇雲に撒き餌を撒いているだけで御座います。

 

 手持ちぶたさの釣り師ほど厄介なものは御座いませんで、そのうち手は出しませんが口を出してまいります。余計な親切を振りまくもので、親切というより野次馬のいい加減さがあふれてまいります。

 

 寄ってたかって・・

「そう、上から撒く、そうそう」

「そりゃいかん、手首のスナップを利かす・・そう」

「同じところを狙って、広範囲にばら撒かない、種まきじゃあないんだから」

 

よせばいいのに詮翔を焼いて、可愛そうに岸壁の父はすっかり操り人形。よほど穏やかな人なんでしょうか、愛想の笑いを時折入れて、何とか野次馬の期待にこたえようと、それは涙ぐましい振る舞いなのです。

 

 風と言いますものは、いつも同じ強度で吹くものでは御座いません、強弱の調子と言う事になってまいりまして、小市民の気のいい人を襲ってまいります。

岸壁の父が撒き餌の杓を振ると、悪しくも強い風が吹いてまいりまして、宙に浮いた撒き餌が、あろうことか、父を、岸壁の父を襲うではありませんか。

 

 撒き餌と言いますのは、既製品のものにオキアミやアミなどを混ぜ合わせ作りますが、出来るだけ臭うように工夫を凝らします。オキアミなど解凍して時間のたった、鼻の一つ二つ平気で捻じ曲げるような代物でして、なんとも香ばしいもので御座います。

 

 出船の時間が参りまして、野次馬釣り師は指導を止めて船に乗り込みます。この頃になりますと、哀れな岸壁の父の事など、どの頭の中にもかけらもありません。有るのは己の欲と夢ばかりであります。後ろを振り向かない釣り師の一行は、こうして釣り場に向かうのでした。

 

 堤防に残された臭い立つ「岸壁の父」は己が身に降りかかった災難の理解に苦しんで、一人佇むのでありました。

 

 そういえばこの所岸壁の父の姿を見かけません。なあ~に、今もどこかで元気に撒き餌の杓を振っているに違いありません。