釣りブログに釣り方も獲物も載って無いじゃあないか!
あのね、私は「釣り師」
釣り方なんかは己の裁量で覚えるもの、そこらじゅう釣り方なんか書いてありますし、動画なんかくっさるほどあるんでね、表っ面をなぞって試行錯誤すると、そのうち段々 様に成るってもんです。
教えるったってねこれがかなり難しい、なにしろお互い言葉の知ってる数が違いますし、使い方だって同じ日本人でも違ってくるし、年代が変わればなおさら細かい事は伝えるのが難しいことです。細かい事と言えば釣りの場合、大まかな事は見てのとうりですから数度自分でこなせば、だれでも習得します。肝心なのは細かい事の中に濃密に詰まっているものなのです。
どういうことかというと針に糸を結ぶ、単純な事なのですがこれが難しい。針に糸を巻いて締める。この時唾をちょいと付けて絞めるんですが、ほとんどの人がこれをやらない。絞める力加減の勘所、これも難しい。
ええ、ちゃんと合理的な訳は有るんです。痛い痛い他人よりももう一つ痛い目をして、やっとの事でたどり着いた訳がね
釣りの難しいところは基本動作のあとの細かい事が大きく作用するのですから、これは説明が難しゅう御座います。同じ経験をしていれば説明も分かるのですが、生半可な経験者だと細かい機微は絶対分からない。到達点が同じくらいの人でようやく共有、ほんとの理解ができるものだからです。
それでね、「釣り師は」先生じゃあ御座いません。魚を釣るのが「釣り師」で御座いまして釣り方を書くのは別の書き手の仕事だ。
その上獲物を晒すなど「釣り師」からしたら、自分の課題に対策を立てて釣り場で実証実験した後だ「釣り師」の仕事は済んでいます。
その上で死体を晒すなんざあ、日頃よっぽと釣れない釣り師が千載一遇のチャンスとばかり喜び勇んでひけらかすぐらいの事か、はたまた乱暴だけが正義の「ISIS」ぐらいのもんです。
今日の予定は別の事を書こうと思ったのですが、あんまり好きでない奴が、表題を錦の御旗に常識を絵に描いた台詞をほざくので、精一杯はぐらかしてやりました。
ところでほんとの所はどうなんだ?ですって
写真を撮ってブログを書くまでには 「胃袋に収まって」おります。