釣り師百態 古参釣り師の供養
釣り師と申しましても若いのから、あんたもう釣りやめたらと思わず言いたくなるような、コケや錆びまみれの老人まで年代層は様々で御座います。
昨今、他の用事で訪ね来る人が有りまして、これが浪士様の釣具を目ざとく見つけてまいります。釣り師の嗅覚と言いますか、獲物を追う目ざとさで話の掛かりをたぐります。
訪ね来た人で釣り具に引っ掛かったのは二人。
一人は防火協会のチラシを丸め持った杖をついた老人。 いきなり・・
「筏かね・・?おお・・」
道具を見るなりそう言います。何でも五体満足の頃は、ちったあ「名」が有ったそうなのだが、どうも聞いた事が無い。この手合いは自分の自慢話から始まって、あそこでこう釣ったなどの手柄話に成るのが相場で、ご他聞に漏れず爺さん口の端につばを溜めて段々に高揚してまいります。
おい爺さん、話はいいがつばがこっちに飛ぶ。久しぶりに気持ちの吐き出し場を見つけた爺さん距離を縮めて来るのが玉に瑕だ。
そのうち話が妙な雲行きに成りまして、いかに供養が大事であるか話し始めます。それもやたら宗教用語を駆使して唾を飛ばします。相手が年寄りなので手加減して聞かねばなりませぬが、こちらは殺生真っ最中の生臭な身ですからたまったものではありません。
宗教心を振りまく爺さんに聞き出したところによると、仏教系の大学に行ったそうで、どうりできらびやかに宗教用語を操るわけだ。
爺さんはほんとは出家して住職か何かに成りたかったそうなのだが、彼女が故郷で就職すると言う事で、彼女と聖職を天秤にかけた挙句、就職した彼女と結婚し同じ会社に入り定年まで勤めたんだそうだ。
なんだ半端な生臭野朗じゃあねえか。 なんだ。
当人によると寄る年波になってねんごろに供養の殊勝な日々だそうですが、「わしゃあ今でも釣れる、婆さんが怒るんじゃ」といいます。
言ってやりましたよ。そりゃぁ当たり前じゃ爺さん、あんた己の姿を見てみんさい。仏壇の引き出しから出した、湿気た線香じゃあ危なっかしくて、婆さんが怒るのも無理は無い。それに無体な殺生を繰り返した挙句、自分だけは無事あの世に行きたいと供養の真似事じゃあないのかい? あんたの人格じゃあいくら供養したって手遅れだ、あきらめな。
馬鹿な事を言ったもんです。
爺さん怒った挙句若気に火が付いて意地を張ります「わしゃあ今でも釣れる婆さん黙らしてでも釣りたい。連れて行け!」とこう来たもんです。
爺さん供養はどうする?今やめたら針地獄に血の池まっしぐらだぞ。
婆さんを殴り倒してでも行きかねない勢いに必死で阻んだ事です。これだから釣り師は・・・
おやいけません、線香爺に熱くなって、長くなり過ぎましたな。もう一人の話は後日に・・・・・・・・・・・・
ところで爺さん 今日の用向きは何だったんだい?・・・・・