備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

見放す釣り師 早とちりとせっかち 気の短いのは違います。

 

 

 「釣り師かい!道理で気が短けえと思った」と言う人が有りまして、確かに気が短くなくては釣り師は立派なお勤めができませんから、うなずく事では有ったのです。

 だからと申しまして まずぶん殴っておいて「おい、今のは何の訳あって殴ったんだったかなあ?」などということはそれはいかに気短な釣り師といえどもそんなこたあありません。これは粗忽者のやる事で御座いまして、釣り師といえばそれはそれ、慎み深く気短なので御座います。

 

 釣り師といえどもいたって普通の人間で御座いまして、当たり前に目鼻の数も揃っておりますし、ただ釣りをたしなんでおって、このことに異常に執着するだけと言う事で、別に獣では御座いません。世間様からは少しばかり異質なものとされているだけで御座います。

 

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 「この餌掛けはどうするんで?」

 「そりゃあここをこうや・・・・・て・・・」「それから・」

 「ぁ~分かった、ほいほい」

とまあ説明も充分に聞かず事を行うのは気短ではありません。単純に早とちりの思い込みと言う事に成って参ります。これじゃあ釣れません。

 

 「この餌掛けはどうするんで?」

 「そりゃあここをこうやって・・・」

 「それで、次は・・ それで・・ も いいや、ほれ・・」

ああ、あ~それじゃあ・・・と言いますのはせっかちなので御座います。何事も事の本質が分からず、釣りたいばかりで御座いまして途中がかなりいい加減と言う事に成って参ります。  これじゃあ釣れません。

 

 釣り師の気の短いといいますのは、事をあせって執り行うと言う事ではありませんで、事を行うに当たり落ち着いて最善で最短の方法を合理的に行うのが釣り師における気短なのです。

 釣り師が釣っております、かなり気短なのですがじっとしております。

よ~くみますと時折、わずかばかり動いておりまして、とても気短の趣など御座いません。やおら見切りをつけたのか仕掛けを巻き上げて、仕切りなおし。後は繰り返し同じ事をしていますから気の長い、辛抱強い仕草である事です。

 

 これがへたくそと成りますと、何の根拠も無い乱暴な仕草ということになって折角集めた魚を散らしてまいります。

上手の釣りは実に丹念に一投ごとに目的が違っておりまして、魚のことなどのご機嫌を伺っております。同じ魚で御座いましても日によって食いが違いますし、棚も違ってまいりますからそれをまず探っておるのです。

 

 当日のご機嫌が分かれば、あとは一気呵成に攻めるのみ、と言うのが釣りで御座います。

 さる釣り師、エビ使いがまだよく分からないせっかちな釣り師で御座いまして、無駄無理の特売をやっております。

「餌刺しを教えて・・」と言いますから、一とうりの刺し方を教えます。もちろん途中からは上の空で思い至った餌刺しに早くも固執しております。

この餌刺しは何のことは無い事なのですが、これを少々刺し違えますと、餌が不自然な動きに成りますし、巻上げなどで回転しまして糸のよれ、トラブルの元に成ります。

 

 「いけん! 思うようにならん! エビがすぐ弱る」

釣りじまいの頃 どれどれと餌付けを点検いたします。

いけません、せっかちはいけません、人の言う事はよく聞かねばなりません、最後までね。

鼻がけの術を伝授したのです。

それを良く聞きませんもので、何のことは無い針はずれを恐れて頭の脳天にしっかり刺し込んでおります。これじゃあエビはすぐ弱りますし、仕掛けは回転してまいります。 魚など釣れはいたしません。

 

 「お前さん何でも、どうしてそうなのか理屈のあるところだ・・お前さんのはこうでこの理屈から外れて・・・・・」

 「わかった!」

またもや話の途中で浅はかな思いつきに浸っております。理屈など神様が教えても聞くものではありません。

 

 まあこれからは根をつめて教える事もありますまい、しっかり土つぼにはまって生き延びていただきましょう。

 

 

 

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