あこう浪士血風録 その3
「大体お前さんの釣りは釣り姿がよくない」
どうやら今日は説教とうんちくで楽しもうと言う趣向らしいです。ああ馬鹿馬鹿しい。
「お前さんのは釣り姿がよくない、大体あごが上がって脇があいてその上中心がぐら
つく、まあ、みっともない見本だな。脇なんぞ空いて隙間が出来るだろう、そこを
カラスがすり抜ける。これが間が抜けるというこった」
「へえそうなんですか・・自分じゃあ気が付きませんでした」
「その人の腕は釣り姿に現れるもんであってな、一連の動作がよどみなく流れて
一分の隙など作ってはならんのだ。スポーツにしろ職人にしろ一流どころは動き
に無駄というものが無い。洗練されて研ぎ澄まされて違和感なぞ感じぬものだ。
まあかく有らねば、お前さんのように(洋上の道化師)と化す」
「随分とひどい言いようです」
「そもそも修行が足りん、釣場の粋姿といわれるように成るには、二年でも三年でも
魚の一匹がつれなくてもだ、趣味は釣りですといえるように成らんといかん。
それを乗り越えると粋姿の釣り師がおぼろげながら姿を現し始めるというわけだ
それが修行と言う訳じゃ。粋と言う言葉は人格によっては使っては成らんのじゃ」
「へえ・・随分と退屈なものなんですね修行というものは、三年も釣れませんか」
黙って聞いていれば随分とひどい言いようで、いくら約束破りのへたくそ鼻毛と言っても少々かわいそうに成ってきます。
そういう主人、片方の靴下には 穴が開いてるのですが・・・端から眺めていますと、どちらも隙だらけの間が抜けた会話にしか思えないのですがねえ。
「たそがれ清兵衛はうまい!」
「映画を見た限りだが、立ち姿といい一連の動作といい隙が無い。役者が上手いのか
心得が有るのか知らんが立派なもんだ。それに比べ釣り馬鹿日誌の浜ちゃんスーさん
はいかん。あごが上がって重心がぐらつき、ばたばたとやっておる。そりゃあまる
で おぬしじゃな」
「はあ・・・」
「清兵衛さんの舞台の藩はおそらく庄内藩の事じゃろうて。ここの殿様は戦国の世が
終わって太平の世が訪れると、それ 藩士どもが身体をなまらせる。心身の鍛錬に
鳥刺しと釣りを奨励したというのじゃ。釣りの事を勝負と称してな、上から下まで
つり狂ったそうじゃ。 つまりだ仕事が釣りということだ、何とも羨ましい話では
ないかい」
「まるで天国ですなあ、給料を貰って 釣りとは・・なんと・・」
「剣も俊敏な動きと間合いが大事じゃな、釣りもそうじゃから通ずる物が有ったん
じゃろう。剣の代わりの竿だ、これも発達してな庄内竿という一派をなす事となった
次第じゃ。 どうだ 参ったか!」
ああ、良く寝た・・・おやおや、朝から話し込んで・・あらまあもう夕刻・・
主人らはまだ話し込んでおります。もうとっくに「たそがれ時の釣り師」の時間なんですが、それにしてもよく飽きずに話が続くもんですねえ。
やっぱり犬の渡世の私には理解できません。釣り師になんか成ろうとは思いません。
何が彼らを熱くさせるのか、遺伝子に組み込まれた狩猟本能がそうさせるのですかね。
そういやぁ私にも動くものに反応して飛びかかる習性が有ります。しかしやっぱり道具を振り回す釣り師など、まどろっこしくていけません。釣り師などには成ろうとは思いませんね。
それより たそがれ時だ晩御飯の時間だ~