釣りは前後左右上下に注意を払うもので、不都合は全方向からやってきます。
まことに平穏無事と申しますのは、どちら様にとりましても目出度い事でありまして、釣場にとりましても平穏であるに越した事は御座いません。
好事魔多しと申します。とかくこの世は生きずらく、何彼と申しますと不都合な事などが邪魔立てしてまいりまして、これは釣り師にとりましても同じことで御座います。
先だっては遭難船が邪魔立てしてまいりまして、機嫌のほうを損ねてまいるところでありますが、常識を外れたかなり大胆な始末であったことです。
釣場と申しますのは自然の真っ只中で、爪の垢をほじるようなものでして、まことに小さな営みであるところですが、自然は雄大かつ意地悪でありまして、釣り師にそれぞれ災難を振りまいてまいります。
釣りをしております、上空からバチャバチヤと何やら落下してまいります。
はい 鳥の排泄物です。機銃掃射のごとく上空から突然何の前触れも無くですから、備えようの無い事です。あまねく現実を受け入れるしか無い事で、誰に文句をいっていいものやら分かりません。これは惨めに耐えるところです。
自然からは雨風、カミナリ 蜂 エイなどもささやかな手慰みを邪魔してまいります。なかなかどうして釣り師の気が休まる事は無いのです。
さて今日のお話、自然からの前後左右上下邪魔された釣り師は、前を横切る人間からも邪魔立てされてまいります。
釣り座の前を通る船、水上バイク、威勢の良いのはいいとしましても波など立てられましたら、これは不自由な事になりまして苦虫を噛む事で御座います。
夏時分からこの秋にかけましてもう一つ、かなり厄介な群れが釣り師の前を横切ってまいりまして、心を乱してまいります。
この群れ何かと申しますと、カヌーの連合艦隊なのです。
釣り座の前は海水浴場と成っておりまして、夏場からここにカヌーの教習などを行う輩が出現いたします。
カヌーですから波など立てるわけでもないのですが、これが教習ですから生徒が付属してまいりまして結構な数に成るのです。そうです連合艦隊然としてくるのです。
一艘の場合は遠慮して釣り座から離れたところを通るのですが、集団で数が多いと成りますと、結構釣り座の近くを通るものなのです。ま これもどうということは無いのですが、問題はこれからだ・・・・・。
カヌーの連合艦隊の先頭は先生が勇ましく勤めます。
「はい、先生のやる事をよく見て、同じ様に動いて下さい!」
「はい、声を出して元気よく漕ぎましょう! えっさほいさ!」
えっさほいさの声が筏に近づいてまいります。筏ではずらり釣り師が静か~に釣っております。
えっさほいさ連合艦隊が筏の端に掛かります。ここから釣り師の悩ましい時間が訪れます。
「こんにちわ~!」先頭の先生が釣り師に言葉をかけます。山登りをされる方はご存知でしょうが、すれ違う人にかける安易な親愛の情の表現です。
先生が声を発しますと、そこはそれこのときばかりの純情さで生徒たちも次々に「こんにちわ~!」と声を発してまいります。
筏の釣り師は海の上に貼りついて下ります。連合艦隊といえばこれは順次動いております。筏の端から段々に全体がすれ違うと言う事になりまして、先生 律儀に一人一人に声をかけるものですから、カルガモの親子のように後ろを付いてくる生徒はこれも声を発してまいりまして、艦隊が通り過ぎるまでは「こんにちわ~!」のてんこ盛りに成るのです。
袖擦れ合うのも何かの縁、釣り師もしぶしぶ「こんにちわ~!」。えっさほいさの声が小さくなるまで気は休まらぬ事です。
いえなにもこれが問題なのではないのです。こんな事ぐらい鷹揚に許すぐらいの事はいかに気の短い釣り師といえども許容の範囲で御座います。
えっさほいさの声が再び大きく聞えだします。連合艦隊が数時間後に折り返してくるのです。
ここからです 釣り師の心がかき乱されてまいります。
折り返し艦隊は船の操作にも慣れて余裕が出てまいります。筏に近ずきますと、今度は「釣れますか~?」と声をかけるのです。先生が声をかけるのですから生徒はなおさらです。
派手な色合いの艦隊が薄汚れた釣り師の一団に、「釣れますか~?」を浴びせて通り過ぎる頃には、これが殺意が芽生える事かなと、どの釣り師も心の片隅に思うことです。そうです思わしく釣れていないのです。
「ああ~まあ!」などとくぐもったその上卑屈な小さな声で返答するしかない釣り師を尻目にカラフルな艦隊は遠ざかっていきます。 えっさほいさ・・・・・。
前後左右上下に加えて前を横ぎるカヌーにも邪魔立てされることです。