世に釣り本をあさる趣味あり 釣り師の釣り本と釣り師で無い人の釣り本
自信たっぷりなのかと申しますと、生身のかなりいい加減な振る舞いなどいたすところですから、不安の一抹など横切るもので御座います。
妙なものでして、釣りなど永年やっておりますと、存外に釣れることが御座います。このような時、確かに自分には天からの才が有るなど勘違いいたしまして、うぬぼれながら密かにほくそ笑んだ時期も御座いました。
年若い何の裏づけも持たず、たまにめぐり合う良い釣果に勘違いいたしますと、これが世間様に対して大きく恥をかくことにつながってまいります。若いうちから傲慢になり、自信たっぷりに振舞う輩、これはあまり信用できないもので御座いまして、胡散臭ささが蔓延してまいります。
以前にもこの青臭い自信の塊のような奴が講釈を垂れますところを紹介しましたが、世の中には変種と言いますものは際限無く湧き出てくるものでして、本日も現れ出でまして世間をお騒がせいたします。
この新手の「自信」はどの様なものを操るかと申しますと、これが「本」で御座いまして、浪士様もこれにはちょいと熱が入った時期も御座いましたところから、話のほうは進むので御座います。
世の趣味と申しますのは大層不思議で、何を好き好んで拘って参るのか、いぶかしい類のものが御座いまして世上を惑わせます。
最近見聞きしたもので変わっておりました趣味に、「研ぎ」と言うのが有りまして字のごとく研いで参ります。そうですひたすら包丁など刃物を研ぎまして、それは切れるようにいたします。この趣味の方の不思議と申しますのは、切るために研いだ刃物で切っては参りません。そうです、なまくらに成った刃物を研ぐだけで御座いまして、ここに無上の喜びを感ずると言う、素人の門外漢には到底踏み込めぬどこかが欠けておるような趣味で御座います。
まあ変わった趣味も御座いますが、この度の青年は本の趣味で御座いまして、それも「釣り本」という類のジャンルを草刈場としております。
釣り本を操り趣味にいたす輩に二通り有りまして、一つは釣りを嗜みながら釣り本を読む、もう一つが釣りをしないのに釣り本が趣味という方であります。釣りをせず釣り本を読んで何が面白いのか理解はしかねますが確かに存在するのです。
中肉中背、色白くしてふちなしメガネというのが今回の青瓢箪で御座いまして、ごく普通の青年なのですが、こと趣味の釣り本の事に成りますと、言うは ほざくは 目も眩むような事を言い放つのです。
「釣り本は開高ではまりましたがね、あらかた読んだところで、ああこれは変わった魚を、書くために釣り歩いているなと気付いたんですよ。外国のあちこちで釣ったんですが他人のお膳立てがかなり有ったんじゃあないですかねえ。ともかく腰をすえて何かの釣りに精通している風でも無いですからね。腕のほうはあんまり信用できないですね」とまずひと講釈。続けて・・
「表舞台の見栄えの良い釣りはやるけど、これと言って続けた釣りは無いですからほんとの所は分からなかったんじゃあないですか。開高の釣りは書くための手段で、その上あわよくば「文豪と釣り」の仲間入りがしたかったんでしょう。釣り急ぎましたね」
と、当たらずも遠からじのせりふを言い放ちます。その上名前などは呼び捨てですから小癪な事ここに極まるのです。
「そこに行くと井伏は釣り急ぎも無いし、極端にあちこち釣り歩く事も無い、海釣りや鮎、川の小物です、ある程度枯れた釣りですから開高よりはましですね。まあ人目が気になる釣りですからその程度でしょう。」
青瓢箪はこう言って、開高 建 と井伏鱒二を評します。他にも名を連ねて言うわ言うわ、全て呼び捨てですから一体貴様は何者かと思うことです。
「ところで浪士様の文章は読んだかい?どうだね・・」
「・・・・・・・」
とここは下手な軋轢をさけて口はくぐもってまいります。
「お前さん大層釣りに詳しくなったようだが、釣りはやった事があるのかい?」こう問いかけますと、自身のなさそうな顔付きで上目使いと成ります。「無いです・」
「お前さん事の真髄はやってみなくちゃあほんとのところは分かっちゃあきませんぜ、どうだい一度後を付いて来るかい?本読みも少しは違ってくると言うもんだ」
とこう誘いかけてまいります。
あれから釣行の算段をと思っているのだが、瓢箪は現れてまいりません。
日焼けが嫌なのか、未熟さを悟られるのが嫌なのかわかっては参らぬ事ですが、もしかしたら自分の思う真髄と、現実の真髄に気付く事を恐れたのかもしれません。