竿師に成った釣り師の 「団子杓」 その2
よくもまあ作る気になってといいながら製作途中では、「あの浪士の野朗が血迷ったところで又新しい手慰みを始めた」と、半ば悪口を広めるところで御座いまして、最後までは行き着くまい、が読みどころでした。
作る浪士様がこれは一番心当たりの有ったところですから、世間の口はやかましいなどとは決して言えない事となって参ります。
あれこれの事で形が終いに差し掛かりますと、世間様随分当てが外れてまいります。
今年の冬は是非にも竹の切り出しには手伝いたい物だと、やや遠まわしの秋波を送ってくるのですから、野暮に近い手のひら返しになって参ります。
このようなものは徹底してやるに限ります。中途の者はその後もすべてにおいて中途の扱いを受けるものでして、ここは一番 埋められない距離を見せ付けておかねば成りません。これで力仕事は他人様、偉そうに思い切り振舞ったところで下仕事は他人様、実に美しい光景が保障されるのです。
この冬はそれでも結構な人数で竹を刈ることに成りそうで、どちらの方々も始めての細工に興奮気味です。
気の早いのに成りますと、鋸だ剪定ばさみだと早買い求めて浮かれておりますから、労働力確保は仕込が済んだものです。
どうも写真の写りの悪いところで申し訳ありません。
この杓、柔らかい団子状の撒き餌をそっと海上に置くのに使います。
竹は篠竹と布袋竹を火にかけ、あぶら抜きをほどこしたものです。約一ヶ月天日で乾かしたものに細工を加えます。もう少し乾かしたほうが良いのですが今回は時間がありませんでした。数年日陰で寝かせる事もあります。
竹を切るには季節のある事で、成長期を過ぎ水分を根から吸わなくなる11月頃から冬の間に切り出します。やっためったら切り出せばよいというものではなく、頃合と言うものがある具合で、全てに通ずる加減で御座います。
撒き餌の団子ですが、この中に餌の付いた針を忍ばせます、これで底まで運んだところで団子が割れる。 飛び出したのはいかにも美味しそうな餌で、パクリと飛びついたが運の尽きという具合に・・・ 時々成ります。
この団子、水深によっては途中割れ等いたしますから、成分・水分・握り勝手など繊細に立ち回ることに成って参ります。
ブログを徘徊しております。料理などなさる方のを拝見しておりますと、柔らかさを保つのにちょっとした工夫で、見違える出来栄えとなる、煮るは煮るでも晒して煮る、ぬるま湯から煮立てるなど実に工夫の効いた繊細な作業をこなされるところです。
ひと手間の怖さと言うところでしょうか、まったく違うものが出来るのですから、料理など怖くて手の出せるものではありません。
自分の性分などおぼろげながら分かるところで、いい庖丁が欲しいなどと、甲斐性など置き忘れたところで、浮つくに決まっています。
釣りとて餌を沈めて魚が食うのを待つには違いないところですが、風や潮の流れ、はたまた他の釣り師の撒き餌の具合など、水を何CC 調味料を何g などと同じで御座いまして、決して定量的な基準では成り立たぬもので御座います。
あらゆる事を知り尽くす努力の上で、あれやこれやの組み合わせを試して参ります。
憶測でしのげる事もあれば、人知の及ばぬ事で魚のせいにしたりもするのですから、釣り師ほど食えないやつもおりません。
はて今日も悩ましく工夫を重ねてみることです。
次は魚をすくう「玉網」の紹介です。