備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

釣り師と宗教  「船頭 浮気はいけんじゃろう」

 

 秋が少しばかりもったいぶって姿を見せて参りますと、どちら様も夏とは違う期待がほのかに漂うので御座います。

相も変わらず釣りに呆ける釣り師も、今まで一番良かった秋だけを思い出してまいりまして、独りよがりで勝手な妄想を膨らますこととなって参ります。

 

 

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 気候が良くなって、段々に釣りに適した日々が続くと成りますと、出てくる出てくる、日頃顔をみせぬ良いとこ取りを狙う、したり顔の釣り師が早朝より大漁を狙うところと成って参ります。

 

 早朝と言いましても中には夜釣りと申しまして、警戒感の手薄と成った魚を狙う夜専門のふくろうのような輩もあることでして、いずれにしても夜討ち朝駆け、忙しく立ち回ることです。

 

 浪士様など昨今ではもっぱら昼専門で御座いまして、昼と申しましても朝早い、朝4時には起き出す所となって参ります。

永年早朝に起き出す習慣など付いて参るところで、目覚ましなど不要、体内時計が組み込まれるところとなって、ましてや釣りで御座います起きれぬ訳が御座いません。

 

 早朝釣り師の起床を後押しいたしますのが、鈴の音と成って参りまして、これが何かと申しますと「シャンシャン」と響くのは宗教で御座います。何の宗派かは存知ませんが、数年前より響くところでおそらく鈴の連なったものでありましょう、巫女さんが振り回すようなあれで御座います。

 当初聞える鈴の音はそれはつたないもので御座いました、とても聞くに堪えれれるような代物では御座いませんで、いかにも駆け出しの信者が、とる物もとりあえずおすがりして助かりたい風で御座いまして、鈴の音に必死さだけがやかましく纏わり付いておりました。

良くしたもので、「段々良く鳴る法華の太鼓」手馴れてまいったところで最近では「シャンシャン」の切れが違います。これでなくては神様仏様振り向いてはくれません。

 

 宗教「シャン」の後押しが済む頃には、さて車に乗り込むのですが、ここで聞えて参りますのが「トントコ」で御座いまして、トントコはこれもたがわず宗教と成っておる次第、こちらは一心不乱に太鼓を叩きます。音色は手馴れたところ、淀みなくお願いすることとなって参ります。

 

 宗教「トントコ」に後押しされるところで車に乗り込みます。車に乗り込みますと有り難い事に、様々 神様仏様がお待ちに成っております。

浪士様あたりのクラスに成りますと、あまたの神様仏様が色目を使って、耳障りの良い言葉を投げかけるのでした。

 

 朝のラジオ番組は、一定の時間に成りますと宗教番組ばかりと成るところで、どちら様も喧嘩などなさらず仲良くお並びに成っております。まさに宗教の虫干しとなって

ひとしきりありがたいお話を伺うところで、釣り師は一回りもふた周りも人間が大きくなって、釣場に着く頃には、いちっぱしの人格者と成っておるので御座います。

 

 渡船場に着きますと、ここにも宗教の待ち構えるところ、船頭の事務所には舟の神様、金比羅山の御札が鎮座しておりまして、多情な船頭はこれだけでは心もとないと、あちこちの神様の御札で防備を固めております。

 

 幾ら寛容な神様とはいえ、自分を信じてもらえずやたら手を出す浮気者の信者に、はたして手を差しのべるものかと、ここは老婆心ながら思うところだが、口には出しません。

 

 「こないだエンジンがうとおて、中古のエンジンを乗せ替えたんよ」

 

 「金比羅山の御蔭ようのう、250万で済んだ。ついでに前の方も木をやり変えて

  よう成ったろう」

 

「うとおて」とは壊れたということで、確かに以前と比べて行き足の良くなった船なのだが、男気の本筋一本、どこか一つの神様にお願いして仕事をさせたほうが、被害は少なかったろうにと思うのだが、これも口に出さない。

 

  さて釣り師、自分の腕一本の勝負と行きたいところですが、己の腕の未熟か神様の邪魔立てか分からぬところ、思うようには行きません。

万能の神様と手を組みたいところだが、こう目移りするほど散りばめられたら、どれを本命にするか迷うところで御座います。

 

 いっそ宗教「シャン」で手を打つかと思ったのだが、「シャン」にしても「トントコ」にしても年季の要りそうな事で、未だ決めかねてはいる。

 

 

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