「老人と海」 孫に先を越された釣り師はこう足掻いて参りました
秋と言う事で世間様はそれぞれ「秋」を確かめに散策するところで御座います。
釣場におきましても、秋の魚ということに成って参りまして、それは気候も良しく賑わいを増すところで、欲の皮を目いっぱい張ったところで出っ張って参ります。 大概が当てが外れて、釣れもせぬ魚を夢見るところと成って参るのではございますが。
楽しい事は一人ではなく、出来ますれば同好の志や気の合うところで、わいわいやるのが又別の楽しさとなって参ります。
釣場におきましても、組み合わせで多いのは友人知人同好の志などで御座いまして、中には訳ありの少々艶っぽい道行などと言うのもあるところで、目をそむけながら覗き見しなければならない事と成って参ります。
柿井さんは、随分と大きな釣りクラブで世話役を勤めた人だ。
人柄と腕で収まりを付けるところで、盛んな頃は全国の大会で名の知れるところとなって、実績でもその辺を黙らせて参ります。
今は獰猛さは欠片も見せぬところで、好々爺、ゆったり遊んで後の仕事ははお迎えを待つだけと成っております。
継承する 技術を残したい、これらは一山踏んでひとかどに成りますとどちらも思うことなのでしょうか、ある時から柿井さんもご他聞に漏れません。
いつの頃からか柿井さんと孫が一対で現れる事と成って参ります。
孫にとっては親父は当面乗越える対象、時には敵と成ったりする物ですから、素直には言うことを聞いて参りません。
そこに行くと、お爺ちゃんとも成りますと角が取れて、当面の敵とは成りがたい物ですし、幾ら反抗期とはいえ言う事等よく聞いてまいります。
時として物を教えるのは両親よりも、芸や実力に裏打ちされた周辺の人ということに成る物です。圧倒的な芸の前ではひれ伏すしかありませんから、言うことなど聞かざるを得ない事と成って参ります。
さて孫、中学生低学年の頃合であろうか、細身で俊敏そうな体つき、中でも特段なのは器用そうなその手ということで御座いまして、爺ちゃんの仕込みもあってか、どうかすると半端な釣り師より鮮やかに操って参ります。
柿井さんは丁重に、舐めるように優しく何度も教え込む事です。若かりし頃の手下はこのような扱いは受けてはおりませなんだ。
「爺ちゃん 来た!」
「ほう! 腕が上がったなあ・・」
なんとも微笑ましいところ、晩年はあの境遇が目指すところなどと、まだ現世にしがみつき、色気の捨てきれぬ釣り師でもそう思うのでありました。
「爺ちゃん 来た!」
「ほう! 腕が上がったなあ・・」
しばらく和やかな事で、釣場は進んでまいるのです。
当日は潮の流れる方向で、他の釣り師の撒き餌がどうやら孫の釣り座の下に効いたらしく、魚が寄ることと成って参ります。
この頃からで御座います、柿井さんより孫のほうがどう見ても釣り上げております。
「爺ちゃん 来た!」
「ほう!腕を上げたな・・他の人もおるけえ黙って釣ろうか」
爺ちゃんが諭した辺りからは雰囲気が違っております。
見ると柿井さん、本気に成っております。いかに孫とはいえ遅れをとるなど、師匠の面目丸つぶれのところ、やにわに闘争心をむき出しにしております。なまじ若い頃競う釣りをしたばかりに、本気にも下地があります。
孫の呼びかけにも生返事で「ああ・・うう・・」としか答えぬのですから、これはかなり切羽詰っております。
孫を相手に大人気なく、かなりみっともない事になっておりますから余計に惨めなところが際立つ事に。いつかはこうなるだろうとは予測の付くところだが、どうも予定よりは早すぎたらしい。
「柿さん、打ち返しが早すぎるで」
と忠告したところで
「ほうじゃのう・・」と言うばかり。すっかり調子を崩しております。
柿さんは今でも孫を連れて時々現れる。以前の好々爺とした柿さんで、ああだこうだと孫とじゃれあっては穏やかに釣っている。
その姿を見るにつけ、孫を相手の釣りはしたいところだが、あの時の柿さんのように本性丸出しで挑みかかる釣りはしたくない。
出来ることなら、枯れ切ったところで孫の守をしたいものだと、現世にしがみつき色気のわずかに成った釣り師は思うことだった。