一生美味い物を食わせる! と釣り師は言ったのだが、どうも微妙に勘違いしている
世の中勘違い思い違いというものはそこらじゅうに有るものでして、当初の思惑が外れますと、随分と恥ずかしく落胆するもので御座います。
今年の秋はどうしたものか雨が続く事になって、釣り師の一向、心晴れやかにとは参りません。上手も下手糞も空を眺めてはため息をつき、次こそ何とか思いを晴らそうと遠足を取上げられた小学生のようにいじけて参ります。
ではどうするか、そこは大人であるところで、いざ釣行の折万全で挑みたいと道具の手入れや、不足の物などをそろえるのに忙しく立ち回る事と成ります。
下手糞ながら一所懸命な青年は熱心に釣りにも行くが、それにも増して研究や知識の習得に余念の無いところ、蝿のように五月蝿いくらいにまとわり付いてあれやこれや聞きまくるのですから、それはやはり五月蝿いのです。
「チヌ針を買いましたからチヌ釣ります」
「チヌ釣るのはやっぱりこの針でないと釣れませんよね、竿もチヌ竿ですから釣れま
すよね」
と、俄かの知識で言うのですが話の前後から判断したところ微妙に勘違いしております。おまけに途方も無い大きさの針を手にしているのですから、唖然として説明するのが手の掛かるところ、わずらわしい事はなはだしい。
どうやらチヌ針にはチヌが食いつきメバル針にはメバルが食いつくものと思っているらしく、まともな大人なら分かりそうなものなのに、頑なに勘違いしております。
「チヌ針にチヌしか食わん、そんあこたあない。チヌ針よりチヌが食い込みやすい針
は有るところで、魚の習性にあわせて効率よく工夫されているだけのこった。普通の
包丁で刺身が出来る理屈だ、刺身包丁は効率よく事が運ぶだけのこった」
煩わしく手間のかかることで、こんなのは現場で痛い目の一つや二つ喰らったところで自分で気付くしかありません。
能島さんと言う夫婦が有って、これが又微妙に勘違いしております。
このご夫婦は市内のかなり大きい食品企業の従業員同士、職場結婚と成るところで二人の趣向が美味しい物を食べるということで一致して、何の疑いも無く夢を見ることになって参ります。
能島さんは足蹴く釣り場に通う釣り師では御座いませんで、本人は釣りたくてたまらないのですが、いまや中堅どころの管理職で仕事が邪魔して思うようには参りません。
釣場はほとんどがチヌ狙いの釣り師のところ、能島さんは様子の少し変わったところで季節の美味しい魚を狙ってまいります。カレイの季節はそれ専門メバルの季節はそれ専門、それに加えて蛸やらイカと忙しい事この上なく、弁慶の七つ道具を繰り出します。
「一生美味しい物を食わせるゆうて結婚してもろうたけえ」とのろけながら愛妻に美味しいものを持ち帰ろうとそれは忙しい事です。
「煮魚も新鮮で身が反り返るんでないと食べれんけえ魚屋さんで買おたこたあないん
よ」と言いますし、料理の話が多いところどうやら食を中心に家庭を回しているらしい。
能島さん仕事で忙しいらしく、そんなに新鮮な物が好きならと釣り上げたばかりのところで魚を届けて参ります。
出てきた奥さん子供を抱えながら魚を受け取りあれこれと話してまいります。
「新鮮な魚は確かにそりゃあ美味しいんじゃけど、主人はせっせと魚ばっかり釣って
帰って、他の美味しい物も食べたいんじゃけどね」
「結婚する時、一生美味しいもんを食べさせちゃるゆうてもろうたけえね、あれじゃけど、美味しい物はほかにもあるよねえ」
色々美味しい物を食べたさそうな奥さんは、これほど魚ばかり持ち帰る主人だとは思っても見なかったらしい。
釣り師の能島さんにしたら別段騙したわけではなく、誠実に美味しい物を誇らしげに持ち帰ります。今までそうだったしこれからも、今更山に入って猪を追う術など無いのですから、釣り師が手に入れる美味しい物を約束どおり算段する事と成って参ります。
微妙に勘違いしたところで日常が回っている事は何処にでもある。