備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

釣り師は短気でないと勤まらないのか

 

 

 世に定説と言うものが御座います、それぞれ納得して従っております。

釣り師といいますと、短気であると言うのは通り相場と成っておりますところで、定説まがいで際物扱いされるところで御座います。

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 さて短気などと言いますのはかなり気ぜわしく思われるのですが、ところがどうして辛抱強く粘る短気などと言うのも有るのですから世の中様々なのです。

 

 一般に短気などと言いますのは、「ええい面どくせぇ買え買え」などと申しまして金を払ったはいいが「はて!何を買うんだ・・?」などと思われるのですが、これはただの粗忽と言いますもので、短気とは兄弟分であっても兄弟ではないのです。

 

 気が短くてつい手が出るのも短気な奴の仕業と思われておりまして、中にはとにかく殴っておいて「はてなんで殴ったのか・・?」などと気の早いのも御座います。

これなどただの乱暴者・粗暴と呼ばれるもので、とても短気の親戚筋ではありません。

 

 

 近江さんはかなり短気ということで世間様が認知するところで、音速で手が出てまいります。短気で乱暴なのですから町内の非人道的兵器なのですが、事を分けて話して納得すれば実に穏やかな人で、これ程分かりやすい事も御座いません。

とにかく、 自分が納得出来ればいいのですが納得できなければてこでも動かない、途中言葉数が少なくなると警告信号が出たと、最近では生まれたばかりの赤ん坊を含めて誰でも知っている。

 

 彼は生業が家引きの鳶で若い衆が数人。随分危なっかしい仕事で気のゆるみが移動中の家を壊しますし、とりわけ不注意は怪我にもつながりますからそれは厳しく若い衆に当たる事です。

一度仕事を見たことが有るのですが、若い衆などきびきび動いてそれは鮮やかな一糸乱れぬ仕事ぶりです。どれもこれも一つや二つ先の工程を頭に入れて動くのですから、端から付け入る隙などありません。

なまくらな若い衆などここで修行すれば、仕事の何たるかは身体で分かります。下手なセミナーやお上の訓練矯正施設など鼻で笑われるのは必定なのです。

 

 仕事柄か、危険な場面では言葉より手を出して分からせるほうが早いのはわからぬでもないのですが、出されたほうはたまったものではありません。

 

 

 近江さんは流石に釣場で手を出すようなことはいたしませんが、釣りの最中は近寄りがたい雰囲気をかもし出して、それは熱心に集中して釣るのです。

周りの釣り師は、餌の付け替えなどで釣りに向かっていない時を見計らって声を掛ける按配で、さもなくばぎろりと睨まれた上、罵声の一つも浴びる事は分かっていますから腫れ物に触るような扱いとはこのことです。

 

 釣りは水中を推し量り魚を掛けることなのですが、気の長い人など気配が無いのにいたずらに粘って参りますから無駄骨ということになってまいります。魚がいないのに10年粘ったところでプールで鯛を釣るようなものなのです。挙句えさとりに餌をとられたまま空針で待つという具合に成りますから、滑稽を通り越して参ります。

 

 

 近江さんと成りますと見切りが早い上に最善の方法で魚を寄せる事に腐心いたしますから、かなりの好業績を上げます。

何しろ短気なのですから無駄な動きを嫌います、全ての動作が合理的ですばやい事すばやい事、何もそこまでと思わず言いたくなるような動きで御座いまして、道具などもきちんと所定の位置に納まり目を瞑っていても、寸符たがわず手が届くのですから恐れ入るのです。

 

 この近江さんが気の長い人よりも余程長く、狂鬼迫る顔で粘ることがあります。

それは目あての魚が寄って来たと察知した時です。

この時は短気な男が化石に成り果てるのではないかというぐらい粘るのですから世の中は一筋縄ではいかないのです。

 

 状況を判断できるだけの腕を持ち、見切りの事等後ろ髪を気にせずさっさと付けて、ここぞの時には程よく粘る。

やはり短気でないと魚は釣れて参りません。

  

 

 

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