こんな私に誰がした・・! 新福山百景 その3
奇怪なるものこの世に様々存在するもので、自然のままに出来上がったものから、人様の手によるものまでこれはまた仰山のことだ。
今回は人の手にかかって奇怪な形にされた、世にも哀れな街路樹が存在するので世間様に、お目通り願うということでございます。
街路樹は様々あるのですが、この道路の両側に林立するするプラタナス、葉を付けている分にはどうということはなく潤いなのですが、葉が落ちるころになると人の手によって刈り取られる。
その挙句がおどろおどろしい形となって、これは疑獄の門に違いないと身構えるのです。
さぞかし地獄の門はこのようなものかと、日頃罰当たりに心当たりがある釣り師は身構えるのです。殺生を繰り返す釣り師は「血の池地獄」が必定なのですから。
次、 この写真は地獄門よりすこし離れた所にあって、その姿形が火炎太鼓とはこのようなものにちがいない形をしています。
実際、火炎太鼓なるものどの様な形であったのか定かではないところ、人間の創造物に違いないのですがこの木を見て思い当たったに違いない。
次、 さてこの写真、ここまでいたぶったのは誰だ・・!
というより「はらませた」のは誰だ。駐在さんを呼ばねばなるまい。
はらませた上に無慈悲にほおっておくなど以ての外、およそ人間さまのやりようではありません。ご丁寧にも双子をはらませやがった、ふてえ野郎だ。
次、 金柑塗ってまた塗って・・・「木」のついでのついでと言っちゃあ失礼になるんでしょうが、行きがけの駄賃、行間を埋めるのに切羽詰まった釣り師は、散歩のたびに隣のその次の庭にある金柑を・・失敬して・・いや親切ついでの間引き作業、何ごとも世の為人の為。
掌に二つ並んだ金の玉・・・
釣り師の性なんでしょうか、周りを見渡す挙動不審なふるまいは、日常の少しの変化を見逃すまいとあがいてまいります。
その挙句、周りには結構不可思議なものが存在いたします。釣り師の目にはどうにも気にかかる。
厄払いを、迷惑を顧みず、 えい・・この場でやってしまえ。といいますのがこの度の写真でございます。
何が釣りの思い付きにつながるかわかりません。人様に先駆けるためには日頃の怪しい挙動は必然なのですから釣り師はその怪しさで腕のほどが知れるということなのです。