備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

釣れるから釣りに行かない、釣れないから釣りに行く釣り師

 

 

  昨日は釣りで御座いまして、細々と営業してまいりました。

先週の寒さには鬼瓦のような顔をした船頭も根をあげておりまして、客足の鈍さに泣きの涙、つい弱音を吐く有様。なんでも世を儚んで「営業を止めようか」などとほざいてまいります。

 

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   船頭!  あまい!

 

 浪士様やその一党に目を付けられたが最後、観念してもらわねばなりません。第一、ようやく釣りこなせる釣り場になったところだ、船頭を甘やかしてはろくな事にはなりません、ここはなだめすかしてだまくらかして、気を取り直させることです。

 

 船頭は鯛の養殖やアサリの養殖、太刀魚漁などでも生計を立てております。

 

 いかに養殖と言えども、そこは自然相手のものでして、昨年などは60万円で仕入れた稚貝が全滅、密植が原因なのか、それとも赤潮せいなのか、原因は定かではないのですが、自然の神様に全部きれいさっぱり、巻き上げられております。

 

 神様もこの頃では容赦はしません。船頭の欲深い日頃の態度が問題なのか、神様が慈悲の心を忘れて何かに呆けているのか、それにしてもつれないことです。

 

 

 何年か前、別の養殖業者の網が何者かに切り裂かれると言う事件が発生いたしました。只の愉快犯か、腹いせなのかは分かりませんが、飼われていた鯛、このときばかりと大脱走してまいります。4~50センチの釣り頃釣られ頃、その上喰い頃と来ていますから、しっかりよだれの出ることです。

 

 ところが面白い事に、喜び勇んで脱走した鯛、自然の中で餌を獲ると言う能力が備わっておりませんで、腹が減ってまいります。よくよく考えた末、おお 元の網に戻れば定期的に餌をくれる、飢える事は有るまいと、脱走した網の周りに戻ってまいります。

 

 当時の餌やりは、自動給餌装置で時間が来れば自動で餌をやってまいります。この時間帯になりますと脱走した鯛が浮いてきたと言いますから、何のために脱走した事やら。 

 

 彼らにとって不自由とは、飢えからは解放されることだが、自由は飢える事だったのです。なにやら温室育ちの狩りを知らない僕ちゃんが、社会に出たのは良いが、飢えて実家に戻ってくるような有様なのです。

 

 この時逃げた魚が釣り筏にも付いてまいります。釣り師にとってはまさにパラダイスこれほどの楽園が何処に有りましょうや。何しろ気の利いたサイズの鯛がいくらでも釣れるのですから。

 

養殖の鯛はなに不自由なく、そして何の疑いもなく餌をついばんでおります。これが相手ですから釣りの技術や見識など かけらも入りません。仕掛けを入れればガツンと一発で食い込みます。

 そりゃあ最初は喜んだものです。何しろ日頃なかなかお目にかかれぬ魚が、無造作にいくらでも釣れるのですから堪えられません。

 

 まあそれでも2時間でしょうか、そのうち釣り師は誰も釣らなくなりました。確かに馬力は有って釣り応えは有るのですが、釣趣に欠けるのです。日頃気難しいスレた魚を相手にしているのですから、此れは釣りではないとすぐに気が付きます。おまけに腹など、裂くとどろりとした脂肪がへばりついております。喰うにも躊躇する有様なのです。

 

 筏で釣れるとそれはすぐに広まって、釣り師の次に釣り始めたのが大勢の素人衆です。自分が名人と勘違いするのに時間は掛かりません。あっというまに大勢の勘違い名人の誕生です。清く正しい釣り師の下請けです。釣り師などといいますものはしばらくは釣りを休んでおります。

 

 散々釣り上げ、低引きで水も漏らさぬ捜索を受けこれもあっという間の根絶やし、瞬きなどする間も無い大量虐殺です。逃げた魚などあれよあれよの間にいなくなりました。

 

 哀しいかな名人と勘違いした素人衆、養殖鯛がいなくなっても釣りに出かけてまいります。 後はすれっからしの、釣り人の針を潜り抜けた魚しかいません。釣れる訳はありません。

 

 釣れなくなってようやく釣り始める釣り師でした。

その頃には、現実の厳しさを味わったにわか釣り師など瞬く間にいなくなったことです。