備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

巻き上げられる波止場の釣り師と「菜っ葉の小母さん」の釣り !

 

 

 波止場と申しますのは文字通りの事で、波を止める用向きで作られたものでして、決して釣り師がたむろする為に作られたものでは御座いません。

船を舫で船だまりにしますのと、もしもの大波や高潮のために備えるもので、そのもしもなどめったにあるものでは御座いませんで、大半は釣り師の手慰みの場と成るのです。

 

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こちらの波止場は我々筏釣りの出船場とも成っておりますところ、いきおい筏の釣り師と波止場の釣り師が混在するということに成ります。

釣る魚と釣り方が違う為に分かれるのですが、話しと趣向が違ってきますから日頃あまり行き来はありません。波止場でも挨拶を交わす程度ということで折り合いは付いております。

 

 どの集団にもおやと思わせる特異な人は有るもので、日頃あまり感心を持たぬ波止場の釣り師の中にも思わず目を向ける人のあるところです

 

 いつも手提袋を両手に提げて、少々丸っこい身体を終日ちょこまか動き回る極普通の婦人の釣り師が今日のお話の主人公という趣向でご機嫌を伺いますが、なにを隠そうこの人が人呼んで「菜っ葉の小母さん」と呼ばれる凄腕の釣り師であるとは普通誰も思わない。

何故菜っ葉かと申しますと片手の手提袋に何時も葉物の野菜が入っております。この小母さんは菜っ葉を巧みに操って、並み居る釣り師よりはよっぽど魚を持ち帰るのですから、普通何処にでもいるおばさんだと思ったら痛い目に合いますから侮れないのです。

もう片方の手提袋にはこれから入るであろう魚が予定されておるところで、さてこれから菜っ葉の釣りが始まるという手はずになっております。

 

 

  菜っ葉の小母さんは田島の対岸の町でスーパーの隣で八百屋さんを営む家のお内儀だそうで、なぜか主人は見たことが無いのですが、日曜日と成るとこの波止場に菜っ葉を持ち込んでは釣りをしております。

日曜日が休みなのかそこの所は定かではないのですが、ご主人とは趣味が違うのかもしれません。

 

さて前置きが長くなったところで、いざおばさんの釣りを眺める事となって参りました。

まず自分の釣竿を準備して海中に投げ入れます。小母さんの釣りの始まりです。

小母さんはここでやおら自分の車にとって返して、件の手提袋を抱えるやいなや波止場を巡回いたします。

 

並み居る釣り師の端から「今日は(アサツキ)で」というが早いか勝手にクーラーを開けると目ぼしい魚を手提袋に放り込みます。

釣り師のほうは心得たもので適当に相槌など打っておりますが、振り返りもせず釣りを続けております。

こうして顔見知りの釣り師から容赦の無い収奪を端から丹念になぞって一巡いたします。小母さんの手提袋には結構な魚が、釣り師の背中には「菜っ葉」が整然と並べられるということになって、とりあえずの一件落着ということなのです。

 

 手提袋の葉物は季節によってほうれん草だったりネギだったりと軽いものが多いのですが、時には竹の子など糠付きの時も有って重たいものですからちょこまかと何度も息を切らして往復しております。

少々過酷な哀れを誘う作業なのですが誰も意に介するものはおりません。

小母さんの釣りの趣向なのですから此れはいたし方ありません。

 

 まあここまではなんとは無い話と言うことなのですが、小母さんが二順目の巡回辺りから事のほんとが出て参ります。

 

小母さんは結構な話好きらしくまたまた端から話しかけては念押しの魚の収奪をいたします。釣り師もこのあたりに成りますと大方見切りを付けるころですから今度は面と向かったところでせん無い話などしております。

注意してみておりますと、聞き上手の返し上手で、これじゃあ釣り師もつい気を許したところで聞かれて差しさわりの有る話の一つや二つしたに違い有りません。

小母さんの収奪の手際から見てどうもそうだ、弱みを握られている。

 

かといってなにが何でも巻き上げるのではなく相手の家庭の事情もわかるらしく、人によって袋に入れる魚も加減している風なのですから芸の細かいということはこう言うことなのです。

 

 スーパーの近くで八百屋さんとはちと無理筋だと思うのですが結構人の出入りも多いらしく、釣り師に配る葉物も市場から仕入れた綺麗に束ねられたものから、今畑から抜いてきたかと思われる乱雑にくくられたものまで様々、思うに近所に魚を配る、近所の人が野菜をくれる、近所の人が足りない野菜を買う、釣り師に野菜を配る、釣り師から魚を巻き上げる、どうもこの循環がよどみなく出来ているとしか思えない。

これに小母さんの話好きが加わるのですから菜っ葉の小母さんの釣りは目出度しということになる。

 

船で出かける我々とは顔を合わすのは朝の一時と帰り際のことからかもしれないが、小母さんの釣竿に魚が釣がぶらさがっているのはいまだお目にかかったことが無い。

  

 

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