「程度と加減」で折り合いの付いた釣りができるものです
釣場に、最近釣りを始めた人など有りまして、ご他聞に漏れず釣りなどをしております。
初心の人などは準備も過大に成りますもので、あれもいるこれもいる、もしああなったらそれもいると言うことでございまして、それは大量に成って参ります。
ある釣り人など、釣具屋さんが出店を開いたのかというぐらい持ち込みまして、釣り師を驚かせるので御座います。
大量に持ち込まれた資機材といいますのは、混乱の元で御座いまして、何が何処にあるのか探しますのに出し置いたものが風で飛ぶ、それを追いかけますと従前においた別なものが飛ぶ。 これは釣場で借り物競争をやるようなものでして、余り経験の無い方々がこのようなことか、その類の混乱をよく巻き起こして参ります。
そこにいきますと経験豊富な方と言いますのは、それは整然とした上に無駄なものなど御座いませんで実にあっさりしたもので御座います。
「あんた方大層な仕掛けを、それも種類も多いがもしかしてそれを全部振り回されるんですかい?」
「ええ、色々釣れると聞いたもので準備してきました」
すっかり何の気兼ねも無く、たやすく釣れる具合に思っております。冗談じゃあ御座いません、これだけの仕掛けや道具を達者に振り回された日には、ここいらの魚は根こそぎで御座いまして、草木の一本も残るものでは御座いません。
このへんの人種と成りますと、その日が楽しく過ごせればいい、釣りなどその添え物で御座いますから魚を釣り上げるのに根性など入っては参りません。
若い衆4人釣り筏に上がりまして楽しそうにやっております。初心の人でありましょう、一塊になってわいわいやっておりまして少々騒がしいのですがまあ我慢する事で御座います。
釣り師が少々の事に我慢いたしますのは、これで何かの拍子に釣れてくれたら、はたまた上手な人の釣りを見て、もう少し深いところで興味を持ってくれればと思うところで
御座います。釣れねば魚の一つでも持ち帰らそうかと思っておりますと・・。
風で帽子が飛ぶ、ゴミ入れのビニール袋が飛ぶ、あたふたと玉網を持ちまして筏の上を駆け回ります。そのうち音楽などかなりの音量でかけ始めます。最近の釣りはバックグラウンドミュージックが入用なのかと思ってまいるのですが、そんなものはまったく邪魔物以外の何物でもありません。
筏の上は鶏小屋の中にいたちを放ったような有様に成って参ります。
釣り師といいますとそれは繊細な、どちら様も驚かれるような細い穂先をずっと睨んで魚のあたりを待っております。そこに筏を揺らすような事が再々生じますと釣りにはなりません。
それで無くとも気の短い釣り師がいらだって参りまして、さて誰が若い衆に声をかけるかと言う雰囲気が充満して参ります。気の短い釣り師といえども直接の軋轢は避けたいものでして、互いに目で「お前言え!」とけん制しております。
「そこの若い衆、済まんが一寸筏の上は静かに歩いてくれんかい、こっちは細かな釣りで、あんたがたの釣りは大層迷惑な事だ、ちったあ周りで何をしとるか考えてくれんかい」
しょうが有りません、だれも矢面に立たないのですから言うしか御座いません。
「金を払って筏に上がって自由じゃろうもん・・」中でも気の強そうなのがそうほざいて参ります。口火を切りますと他の連中も何やかや小理屈を並べ立てて「自由じゃろう・・」とえらく言葉尻に付け加えて主張いたします。
もういけません、他の釣り師も立ち上がって廻りに寄って参ります。これは怖いものが有りまして、薄汚れた先程まで殺生に精を出していた殺気そのままに対峙するのですから、物言わぬまでも迫力が有ります。その上、目など相手を見据えて離さぬのですから少々の器では相手に成りません。
対立した場合、相手の力を値踏みいたすもので、これはまずいと思ったのかそのうちの一人が、やおら土下座いたします。すみませんと言うのです。
これにはこちらが驚きます。
「おいおい、何だその格好は、こっちはそこまでしてもらおう何んぞは思っちゃあいねえ、物には程度と加減というもんが有ろうが。あんたらここで加減が過ぎたことだ、お互いが成り立つようにしてくれればそれで済む、土下座は安手にふりまわすもんじゃあねえ」
若い衆すっかり矛を収める気でおります。いたずらに対立の尾を引いてもいけません。
「ところで釣れたかい?」 「いえ・・・」
ここから妙なことに成りまして、お互い距離を縮めて釣り師の何人かが若い衆にああしろこうしろと釣りの指導です。素人相手ですから日頃えらそうに出来ぬ釣り師は面白くっていけません。「ばか、ゆっくり引け・・・そう・・」などとすっかり素人釣りが気に入った様子で御座います。
若い衆に釣れはいたしませんでした。又現れるかと思っておりますが未だ釣場には現れてまいりません。
この間の事は刺激が強すぎたのかもしれません。
「こないだ済みませんでした」の一声で何もかも払拭できて、釣りの次の段階が有るのにと思うことだ。