異名を取る釣り師
何につけても物事がよどみなく進みますのは、気持ちのいいもので御座います。端から見ておりましても、何の違和感も無く事が進みますと他人事でも安心するもので御座います。
釣りをしております。眺めております。 よくある光景でしてまさに釣る馬鹿、見る馬鹿、それを見て馬鹿にする馬鹿と折り合いはついております。
これに下手な奴が絡みますと、流れがよどんでまいります。ぎこちないのもいけません。気の短い見物人など、つい口や手が出る次第となって、下手をしますと喧嘩沙汰ということになってまいります。
何につけても、よどみなく無駄なく隙が無いのが、物事成して参る常道です。
「柿さん」と言う方がおられて、上手の人であります。
釣る人など、それぞれ趣向も違えば考え方も違う、挙句、喰い方まで違ってまいりますから千差万別なのです。
基本はしっかり出来て、その上勘所の押さえはきちんと出来た上でのそれぞれですから、それはその人なりの個性的な表現とも言うべきものでしょう。
柿さんの釣りはそれは律儀です。釣り始めから最後まで、まったくゆるむことなくその動作が続きます。計ったように同じ調子が夕暮れまでなのです。
釣れぬ時間帯など時合いとの関係で、どうしても生じるものです。普通の釣り師ですと強弱をつけてことに当たってまいります。
柿さんには浪士様でもかなわぬことはありません。むしろわずかばかりでもこちらのほうがよく釣ってまいります。他人様が釣りあおろうがどうしようが、柿さんは乱れてまいりません。日がな一日同じ調子の釣りをなさる事です。
柿さんの怖いところは、つぼに嵌まった時です。これはすざまじいもので他を一切寄せ付けません。柿さんの単調な釣りはとんでもない爆発力を秘めていて一旦火が付くととどまると言う事を知りません、容赦は無いのです。
あれよあれよの大爆釣、周りはあきれ返ってただ眺めるだけと言う事に成ってまいります。
「時計仕掛け」と、いつの頃からか柿さんの釣りを呼ぶようになってまいりまして、程よい異名と成ったのです。
「宙吊り」と言う方がおられます。この方もかたくなに「宙」、つまり刺し餌の位置が底からかなり上なのです。どれだけ上なのかは「宙吊り」のみぞ知る、他の者の立ち入る領域ではありません。
宙吊りさんのスタイルは、もちろん最初からこうだった訳ではありません。一般の理屈の釣りでしたが、何処でどうなったか、異様に宙で釣ることに固執してまいります。
いえね、これくらいのお方になりますと、いともたやすく無造作に釣るんですよ、普通ならね。
所が釣りたいのは、無造作に釣れる奴ではなくて、撒き餌に群がる魚の外にいる、狡猾で大型の奴これが標的だった。
おい、宙吊りじゃあなくって宙釣りじゃあないのかと言われますか。どちらでもよろしいのですが、刺し餌が宙に吊るされている物でしてね、お気になさいますな。
「吹流し」 「縁側めくり」 などなど、釣り場には異名を取る釣り師があまた。
どれも一癖ある釣りをしてまいります。
異名をとるなど、どの世界でも容易な事では御座いません。普通の事がより上手に出来た上、その方独自の領域が御座いませんと、世間は許してはくれません。
なぜ釣るか? そんな事は分かりません。一ついえるのは知識ではなくて、腕を褒められる事の嬉しさからでありましょうか。その上誰にも踏み込ませぬ領域などありましたら、男子の本懐です。