釣り師は好色でないと勤まらないのか!
おい!お前さんは好色だろうとのっけから言うのですから、修行もいよいよ越境に入ったか等と思っておる釣り師は戸惑うのです。
好色などといいますものは少しばかりの心当たりはあるところ、しかし世間様から後ろ指を指される程の事では御座いませんで、ほんの少しの心当たりなのです。
何しろ好色でなければ釣りなど成り立つわけは無いのですから、そうおおっぴらにその上声高に言われますと、思わずあたりを見回すと言う事に成ります。
釣り師は好色であるとは世間様でささやかれるところ、いささかも否定するところでは御座いません。はい確かに好色であることには違いありません。
ここで申し添えるところですが「スケベ」なのと「好色」なのは少しばかり趣を異にするところと成っておりますもので、己の名誉の為にもはっきりさせておかねば成りません。
釣りと申しますのは水の中にいる魚を釣り針でだまし討ちにいたすものですから、おのずと魚の位置や活性、その日のご機嫌などを探って参らねば成りません。
そうなのです、見えない水の中をああだろうかこうだろうかと妄想たくましく、その上自分の都合の良いように、解釈して参るのです。好色で無いととても勤まる生業では御座いません。
まあここまでは釣り人のどちら様も妄想たくましくして好色であるところで御座いますが、釣り師となりますと、本当の好色であるのはここからで御座いまして、やにわに本領を発揮してまいるので御座います。
魚と申しますのは種類によって生息場所も違えば食性も違っております。そして魚の種類によって食いつき方も引き方も違っております。
ですから食い方が穂先に現れますと、あああの魚が食いついたと分かります。食った魚の引き具合でも分かりますから、手練の釣り師とも成りますとどの魚がどれくらいの大きさかこの時点で目算が立って参ります。
釣上げるまで分からないという盆暗ではとても勤まりません。
この水中にある魚、大まかなところで同じ引きをするのですが、ところがどっこい同じ魚でも微妙に引きが違うのです。
固体によって個性と言いますか性格が違ってくるのですから、釣り師はそれをめでるので御座います。
一匹一匹それはねんごろにめでて参ります。
どうですかな、それぞれの色を全てめでるのですから好色なのです。
これがスケベと成りますと、ただ単純に多淫であったり何かの癖にかたよったりですから、とても全てを抱え込む度量と言う事からしますと、力の不足する事は否めません。
ご婦人方にいたしましても、それぞれ姿形、性格に好みなどそれぞれ色をお持ちのところです。頃合の年頃の方から婆さんまで、それぞれの色をめでてまいるのですから釣り師はよほど好色といわねば成りません。
釣りをしております。様々な魚の一匹一匹の色を確かめるところで、その日の魚の活性や、状況が薄ぼんやりと浮かんできます。
この作業を達者にこなさねば、魚なんぞ達者には釣れて参りませんから、釣り師といいますのは今日も好色を目指すのです。
次回は巷間言われるところの釣り師は「短気」かについて戯言を少々・・・