宙釣りの釣り師 いくら会社の金使い込んだんだい?
毎度珍しくもなく、代わり映えのしない、ここは釣り場ということで御座いまして、本日は暑さも厳しい折から、水の中の事といたしましてご機嫌を伺ってまいります。
釣り場は当然、釣り師の虫干しということで御座いまして、雁首を並べて釣るので御座います。 この虫干しさなかの輩、同じ様なものなのですが、内実はそれぞれうまいのやらへたくそなのやら、中にはまったくの素人、飲み上げて一日中寝ているものなど、玉石混合それぞれ干渉せず共存しておりますから、面白い事なのです。
釣りは魚に餌を食わせなければ始まりません。出来るだけ魚の好物を目の前に、が理想で 、その餌がさも活きが良さそうに動くと、この上ない事と成って参ります。
魚とは不思議なもので、このような状態でも食いつかないときにはてこでも食いつきません。食うと成ったら引っ手繰りますから性格は読めないのです。
餌を動かすと成りますと、そこは技量・性格によって人それぞれ、良かった時を思い出して動かす者、闇雲に竿を動かす者。中には5年でも10年でも待ってやると動かずの姿勢の者、使い古したクレヨン箱のようなもので御座いまして寸法から色、形まで様々釣り師の生態が 展示されるので御座います。
さて餌の動かしようなのですが、同じ動きをしているようでこれが大違い、一寸の差が大違いということですから、これは堅気の衆の手に負えるものではありません。
こんな事は、場数を踏んだすれっからしにしか分かりっこありません。大体昨今 事を軽く見積もって始めようなどと言うやからが多く、この手合いのちょいと動かすのと、コケの生えた、古傷だらけの釣り師のちょいと動かすでは、ちょいと違ってまいります。
手練の釣り師は何を考えてどうしているかと申しますと、餌になったり、魚に成ったり、釣り師に成ったりで多重人格者を演じますから、「役者やのう!」なのです。
餌の動かし方と言いますとその人の考え方が反映されますから、これは人間性が動きに出てまいります。そして日がな一日根気良く魚の機嫌を伺ってまいるのが釣りなのです。
前川青年は好青年で御座いまして、主に中層を探ってまいる事から「宙釣りの前さん」と呼ばれております。
魚は上から落ちてくる餌にからっきし、だらしが無いもので、ひらひらと舞い落ちる餌に臆面も無く食いつきます。前川青年はここに付け込んで大漁をもくろむのです。
「どうしたい! 浮かぬ顔で・・会社の金でも使い込んで返す当ての無い顔でござんすよ、どう見ても。 いくらなんだい・」
前川君には今日は魚が愛想をしてくれません、それで悲壮なまでに深刻な顔つきと言うわけで御座います。
「会社の・・・・金・・・して無い・・・おかしい・・おらん・・・」
冗談を聞くのも上の空、こうなっては怖い奥さんや警察署の呼び出しでさえ通じません。一心不乱に無駄な努力を海中に向けるのでした。
釣り師は時折こうなるのです、なぜか?、釣り師の興味の一点、「このやりかたで釣れるか?」が世の中の何をさておいて全身を支配するからです。
今日の魚は残念ながら中層には居りません、浪士様は朝から底で数匹仕舞をつけております。
「前川青年聞き給え、本日魚の諸君は前川青年が来るのを知って集団的自衛権を行使して海底に潜んでおる。糠にくぎ打つ無駄な努力は止めたまえ。浪士様の人間性を慕ってほれ、この様に釣れておる。底・底・で辛抱じゃ」
「あこう浪士の人間性?・・・・・え~?」と前川君は言いかけて終日、中層を釣る鬼と化したのでした。
浪士様の魚は半分前川青年のクーラーに入ります。なぜか? 鬼と化した前川君が家で待つ別のもっと怖い鬼に責められるのが忍びなかったからに決まっています。