津軽三味線 高橋竹山さんと 釣り師 その2 恐怖
竹山さんと直接合って話をしたのは数ヶ月後の事と成って参ります。
話をしたといいましても竹山さんとはほんの挨拶程度の事、なんせ敵は難解な外国語を操り押し付けて参る青森の人ということで御座います。
てんで話に成らないとはこのことで御座います。何しろ通訳が要るのですから。
お話なんてえものは片方がわかっても片方がからっきし分からないなんざぁ、一方通行の行き止まり出口の無い糞詰まり、行きようが御座いません。
広島から帰って数日、それはあの感動をどう処理するか粗忽者は考える事です。どうも数日余韻が抜けぬのです。
数日の後、粗忽者は意を決して参ります。どう意を決したかと申しますと、そこは粗忽者の気軽さ身軽さということになってまいりまして、「よし!福山にも来て貰おう」と言う事で御座います。
あれこれ手引きをしてもらう事で姫路の公演で合うことに。
なぁにどうなるか分からぬところだがどうにか成るわい、「庄屋の娘もゆうてみにゃあわからん」のですから。
合う日が近づいて参りますとそこは半端の者、段々に不安が増すところとなって参ります。
不安と言いましても、どう仕切るかとか手続きとかというものでは御座いません。そんなもなぁ人に出来て自分に出来ぬ事は無いわいぐらいに思っております。手足や目鼻の数が一緒でできぬわけは無いのです。不安なのはそれはあの時の恐怖が忽然と蘇ってきたからなのです。
仕事向きの事で玉野市のお茶屋さんを訪ねる事になります。
「主人がおられんやったら、お婆さんがおってですからその人に話をして下さい」とのことで、お茶屋さんを訪ねます。
主人が不在で手摺にもたれて出てきた上品なお婆さん開口一番「目が見えませんでの用向きだきゃあ伺います」あくまで穏やかで上品なのです。
上品で和服を着た小柄なおばあさんが、じっとこちらの言うことを聞き入ります。
生涯これほどの恐怖に襲われた事はございません。何しろ全部お見通しなのです。よこしまな気持ちや小ざかしい事など全部瞬時に見破られるのですから恐ろしいのです。一挙手一投足に視覚以外の神経を集中されるのですからたまったものではありません。
中途な人間が取り繕うなどといたしましても、余計泥沼なのです。
一寸悪さをしたばっかりに座頭市に睨まれた様なものなのですから、それは怖いことになって参ります。
はて困った!玉野のおばあさんのこともある、竹山さんは目がみえぬ、これは迂闊な事だった。約束は破れぬし、合うのは怖いし。まあ命まで盗られるようなことでも有るまいとなだめる事だ。
意を決して楽屋を訪れると竹山さんは関係者と一緒に丁度ほか弁をほうばっておられる最中だった。
緊張してどうなる事かと心の臓が早打ちするところ、思わず 口に出てしまった。
「竹山さん頬べたェ弁当付けとってで」
竹山さん見事に頬に飯粒が数粒、他の関係者はそんなもなあ自分で始末する事で我関せず、にこやかに笑っております。
助かったんですよ、恐怖心なんか何処にも無いんですから、どっか飛んでいったんです、飯粒は神様です。
そうなりますと未熟者のずうずうしさで「ああだこうだ」竹山さんも何をおっしゃっているかか一つも分からぬところ「ああだこうだ」、誠によく分からぬところで安堵の時間が流れて参ります。
お付の人が途中通訳をなされる所で交渉事が終わり、福山公演が決まった。
晴れやかなのですよ、広島で観た竹山さんの面影はそこには欠片もない事でして、ただ近所の気のいい爺ちゃんがいるだけなのです。周りの人もその辺にいる人を引っ付けたような人ばかりで、芸術家然とした気取りなぞまったく御座いません。人に対して拍子抜けするとは、いやこちらの思い込みに手違いがあっただけのことか。
「それじゃあ失礼します。福山で」 すっかり気がゆるむところ、気軽に手などを上げます。
「あなたねえ、幾ら手を上げて挨拶されても竹山さんは目が見えませんから無駄ですよ」
恐怖から開放された新米釣り師を皆で笑う事だ。
ふと安心したところで思う、広島で観た竹山さんとどうも印象が違う・・・
帰りの道すがら、あの爺さんはたして本物だろうかと粗忽者なりに考えた事だった。
次回は神戸地震と竹山さんについて書きます、お立ち寄り下さい。