備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

木俣さんの釣場の弁当

 

 

  釣り師の朝は早いと言うのは相場が決まっております。

世の中ではそんなに役にも立たぬのが年甲斐も無いところで浮かれているんだろうと、お思いの向きもあるところ、確かに浮かれていないとははっきり言えない所が情けない有様なのですが・・・

魚を釣ります時、「朝まずめ夕まずめ」などと朝晩魚が良く釣れる時間帯が有るところで、釣り師はこれを狙うと言う事も有り、朝早くから朝駆けするのでもございます。

 

 

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 今は24時間営業の店などふんだんに有って不都合は無いのですが、昔は朝早く弁当などを売るところが御座いませんでした。

 

前の晩 昼に使う弁当と、なにぶん腹が減っては戦が出来ぬ、朝に腹に入れるものを段取りいたします。

どの釣り師も一緒で御座います、弁当を造ってもらえるのはほんの最初だけ、後はあきれ返られてどこかの弁当屋さんかお店でそれなりのものをそろえる、とまあこのように成るのです。

奥方様におかれましては「やっちもにゃあ事」にかまける輩をかまっている暇は無いのです。

 

 

 釣場で目を引くもの、それはやはり釣果ですが木俣さんの場合は他のもので目を引いてまいります。

 

 木俣さんの仕事は地元の製鉄所で数を数える事らしいのです。そうですひたすら兎にも角にも数えるんだそうで・・・

 

「納品するのに数や寸法が違うといけませんし、納品された物も数が足りないといけませんからそれは慎重に数えるんですよ。」

 

「長年やっていると、お決まりの物は見ただけで数の多い少ないは分るようになりますからね」

 

とまあ年中、数をこれでもかと言うぐらい数えると、そういう風になるらしい。

  

 

  木俣さんはそこそこの腕を持ち、ツボにはまるとこれでもかと言うぐらい追い討ちが激しい人で、年に数度ですが並み居る釣り師もなす術も無く恐れ入ります。

この方が注目を集めるのは、釣果もさることながらなんと言っても弁当と言う事になって並み居る釣り師はこれには叶うものが御座いません。

 

 他人の目を引く木俣さんの弁当は、二段構えで重箱とまでは行かぬもののそれなりの器で、それに彩りも鮮やかに、さも手間隙がかかったであろう手作りの料理が並べられております。人の気持ちが入った弁当とはこのようなものを言うのだとそれは一目瞭然まったく見事なものなのです。

まあたとえますと婚礼の料理には及びませんが、下手な行楽弁当より余程手が込んだものと成っておりまして、他の釣り師の羨望の的と成るのです。

 

木俣さんが昼時に成り弁当を使うと言う段になりますと、このときばかりは悠然と時間を掛けて遠くを見やりながらの昼飯ですから、並み居る釣り師も己が身分との違いに涙するやら羨ましいやら、境遇を哀れんで参ります。

 

 

 

 大体釣り師の弁当などと言うのは、いたってがさつで色気の無いものでして、とりあえずは喉の渇きと飢えさえ凌げれば何でもいいというのがほとんどで、昼時に魚が釣れる時合いなどが参りますと釣りに夢中になって、ああ今日は昼飯抜きだったかというのがよくあるものなのです。

 

  木俣さんとは釣具屋さんでもちょくちょく顔を合わせます。時々小さい御人形さんかと言う位可愛い女の子と一緒で、これが一粒種のお嬢さんだとか。

女の子は屈託無く、店内に流れる音楽に合わせて身体をゆすります。これには木俣さんも手を振って合わせておりましたから、これほどの親子関係もありますまい。

 

 釣り師といいますのは押しなべて周りの変化にはさといものでして、木俣さんの弁当の変化に気付いて参ります。それで無くとも派手で人目をはばかることなく見せ付けられた弁当の事だ。

 

「オイや、木俣さんコンビニ弁当に位落ちかい、さては母ちゃんとドンパチか・・」 

 

あれこれ日頃食い物の恨みの有る釣り師は、ここぞとばかり言い募って参ります。

しばらくの後で御座いましたな、ここのところ続くコンビニ弁当の木俣さんがぼそりと・

 

「色々有ってな・・・別れたんよ・・」

 

 とまあそう言うのだ。瞬時に思うのはあの無垢であどけない子供さんのことだったが

他人様のことで差し出がましくはできない。

「そりゃぁ返す返すも残念な事だなあ、あの弁当の作り手はそうはおらんで、何しろ気合も気持ちもとなると、これが宝くじに当たるよりまだ難しいのにのお・・」とまあ距離のある話だ。

 

 一年も過ぎた頃だったろうか、件の木俣さんが以前の重箱然とした弁当箱を持ち込みます。料理も以前羨望の的だった内容だ。

またまた釣り師が変化に気付くところで、口さがないのに成ると・・

 

「大将、新台入れ替え新装開店!なさったんですかい・・新婚さんいらっしゃい!

 

 

 どの様な事情が有った事なのかつまびらかな事ではないが、木俣さんの言うには「女房とよりを戻してなあ・・・」と言う事だった。

 

木俣さんがぼそりとそう言った時、分かれている間の日数はちゃんと数えたんだろうかと言う事と、それにも増してあどけない純粋無垢なあの子供さん嬉しかっただろうな、ただこれからは両親の少しの変化を見逃すまいと用心するんだろうなとは思ったが、不思議と目を引く弁当のことは思わなかった。

 

 

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