備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

  釣り場は釣り師の巻き起こす喜怒哀楽に満ち満ちて・・・  さて 事件は釣り場の周辺で起こってまいります!

なあに「大吉」なんぞは出るまで引いたら出てくるもんだ!

 

 

 「懲りもせずよう続けてじゃな・・」 と言われます通り懲りないのですから、またまた釣りに出かけるという具合で御座います。

他に芸でも有ればの事ですが、もって生まれた才などかけらも見出せないのですからいたし方の無いところで御座います。

 

 

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 釣り師の中には才覚もあり、他の仕事も立派にこなされ、そのうえ町内のドブ掃除の割り振りなどこまごま世話焼き、そりゃぁ化け物の働きと感心する人も有ります。

 

大概の釣り師と申しますと大して取り柄も無く、世間様からは薄汚れた呆け物の扱いでして、魚などのおすそ分けでようやく人として認知される程度のもので御座いまして、要は社会の添え物程度の事で御座います。

それゆえでありましょうか、釣りということに関しましては執着が人一倍強いものが有りまして、頑なにしがみついてまいります。

 

 

 そんな釣り師で御座いますが、それぞれ個性のようなものは備えておりまして、道具立てから釣り方に及びます事がそれぞれ違ってまいります。

個性にも皆様方にとって都合のよろしいものも有れば、なんとなくそばには近づきたくないものまで千差万別、人の数だけ取り揃えてあるところです。

 

 先頃は血風録で騒がずとも良いところ、穏やかな日常をかき回しまして申し訳なく・・  

などとはかけらも思っておりませんで、今日も世迷い事でご機嫌を伺ってまいります。

血風録に登場いたしました、義理欠きへたくその鼻毛野朗に関しまして、少々後日の逸話が有りましたので書き記す事といたします。

 

 

 へたくそは読んで字のごとく釣りは大変へたくそで御座います。まあそうは言いましても、場数の事などは踏んでおりますので、素人衆とはかけ離れた腕は持っております。 釣り師の中でかなり位が低いということで、皆家族分は釣り上げるけれど、へたくそに限っては、猫の餌ほどしか釣り上げないと言うぐらいの事で御座います。

 

 釣り師と称して、魚が程よく釣れぬとなりますと、人というのはあらゆる手立てを講じますもので、道具立てを新しくしたり餌に凝ったり、中にはまったく効果が無いのに着衣にまで凝ったりいたします。  

まあ、腕の裏づけないところでどうあがいても、行き着く先は闇夜のカラス、どうにもこうにも見えては参りません。

 万策尽きて最後に釣り師が頼るところと言いますと、神仏におすがり申し上げると言う事と成って参ります。

 

 

 大概の釣り師と申しますと、神仏に関しては日頃感謝申し上げるなど露ほども思いませんで、不義理の数々、都合よく神仏をこき使おうなどと思い立つのですから、罰当たりもここに極められるのです。もちろん賽銭、お布施は考えられる限り小額で、最小の投資で最大の効果を狙うのは言うまでもありません。

 

 御他聞に漏れずへたくそもこの手合いでありまして、神様にすがってまいります。

賽銭はご縁が有るようにと、5円玉。                       有るものか・・金額に比例したご利益の仕掛けだとは知らないらしい・・最近の神様は世間ずれしておる・・ふふ。

 

 ここからが小市民の小者、へたくそであるが故の常識的な行動。御神籤を引くこととなります。一回100円の御神籤は5円の賽銭ではいう事を聞く筈も無く、哀れな小吉。

釣り師の端くれ、どうしても大吉が欲しい。やおら100円をはたいて望みをつなごうといたします。 中吉・凶・小吉と続く中、意地になって「大吉」を求めます。

 

「なあに「大吉」なんぞは出るまで引いたらでてくるもんだ!」

 

こううそぶく釣り師は8度目でようやく神様のお許しを得ます。

神社の、それもご神体の前でのこの無法、どんな神様でも見逃すはずはありません。

 

 へたくそからこの話を聞いた折り「ばかものめ!」と思ったのだが、誰にも言わず最後の手段で使えるかなと思ってみたりもしたことだ。

 

 

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