釣り師の大往生
釣りと申しますもの老若男女、物心付いたのから後期高齢者にいたるまで、それは多種多様な人の思惑で賑わって参ります。
一方釣られる魚のほうといいますと、小さいのはメダカから大きいのはマグロ・カジキなど、釣れたら赤子の手をひねるようなものから、競走馬を釣り上げたのではないかと見まがうような奴まで、これも多種再々狙われておるのでございます。
出船前 渡船場には浮世のわずらわしさなど何処吹く風の釣り師が三々五々集まってまいります。大抵のやつが世事のことなどいい加減に畳み込んで、心残りなどちらつくものの程よく振り払ったところで、余り褒められた事でも無いのに血道を上げようとしているので御座います。
「あんたあ老いぼれじゃけえ、冥土の土産に今日はええとけえ座らしちゃる」
「馬鹿あゆうちゃあいけん・・!足腰もまだまだ、目も針を結ぶなんざぁメガネもい らんわい、それに婆さんが逝ったら、新しいのを貰う算段もしょうるけえ、あんたらいらん世話せんでえぇ」
とまあ散々殺生を繰り返した罰当たりの爺さんは、自分が婆さんより先に逝く事もあろうに元気なところです。
朝の集会はこの後期高齢者に成りたての爺さんがからかわれるところで、余り年寄りを慰み者にするなど褒められたところではございません。
話は進んだところで、一体いつまで釣りを続けられるかと言う事に成って参ります。
若いのは働き盛りで血気盛んなところですが、使い痛めの腰が痛いだの、目が悪いだの結構抱えているもので御座います。
年を食ったのになりますと、あちこちの綻びを騙し騙しですから、いきおい意気消沈するところで御座います。
それぞれ心当たりのあるところ、さていつまで釣れるのかと話は沈みがちになってまいったところに、土壇場に光が差すような事を言い放つ奴が現れてまいります。
「こないだ新聞に載っとったがなあ、走り島の爺さんが舟で釣りに出かけて、海に落ちて亡くなっとったろう・・」
「遊びの釣りか漁かは知らんがのう」
「思うように体が動かんと海の上は危ないでのう」
ちょいとばかり沈み加減のところ、皆を明るくさせたのは新聞を読んだ件の中年だ。
「新聞にゃぁ走り島の爺さん 95歳とか書いとったのう・・」
若かろうが年寄りだろうが釣り師の脳裏には瞬時に・あの年まで釣れる・・の目算がたったことだ。
事故は不幸な事だが、走り島の爺さん、漁師にしろ釣り師にしろあの年に成って獲物を追う興奮を確かめようとする姿には敬服するとともに、若いのは何十年、年の行ったのはまだ何年釣れると指を折ることだ。
何しろ95歳まで生き延びても、魚を追う気力は保てる見通しが立ったんだ。殺生を繰り返し、世間から冷ややかな目で見られた釣り師の最期なんぞは、そりゃあ海の上で行き倒れの野垂れ死に、「大往生」とくれば本懐ここに有りのことだ。
その日の釣り師は全員穏やかであったことだ。