瀬戸内海は逃げられない! 「いつでも 何処でも なんとでも 」
物事に凝るということは、個人の思い込みを他人に知らしめたいという顔が有りますもので、これを突き抜けると他人の顔など気にならなくなりますから、立派な世捨て人ということに成って参ります。
凝りあげた人と言うのは、たやすく他人の手出しが出来ぬことから、程々の扱いは受けるところですが、それとて常人の常識から外れた位置にありますもので、表面の評価と実際は違うものとなって参ります。
渡船場の駐車場に一台の箱バンが入って参ります。取り立てて変わった風ではありませんで、ただ釣具メーカーのステッカーがかなり賑やかに貼ってあるだけで、一見ああ釣り好きの人だなぐらいの装いです。
車から降り立ったのは若い兄ちゃん二人組み、服装はいかにも今風という出で立ちでは御座いませんで、普通を絵に描いたどちらかと言うと地味な部類の戦闘服にあつらえて有ります。
異変に気が付いたのは道具を下ろし始めて、さあいよいよという時で御座います。
釣り師の一人が「おいこりゃあとんでもないぞ」と若い兄ちゃんの箱バンを覗き込んでおります。
「 こりゃあまた・・なんとも・・凄い!」
なかなかに最近では驚くことの少なくなった釣り師は声のする箱バンに集まってまいります。
口々に驚嘆の声を上げるところで、若い兄ちゃんは事も無げに粛々と準備を進めてまいります。
釣り師が何に驚いたかと申しますと、箱バンの後部が改造されており、そこにはおびただしい数の釣具が整然と並べられています。
竿など十数本、リールにいたっては吊るし柿のごとく吊るされ、小物類も整然と一分の隙無く並ぶところ、まるで釣具屋の出張移動型小型店舗の趣となって、これ見よがしに釣り師の目を釘付けにしております。
兄ちゃんの言うところ
「磯釣り、いかだ釣り、堤防、舟いつでも何処でも、なんとでも成ります。チヌ、たこ、イカ、太刀魚 いつでも何処でも、なんとでも成ります」なんだそうだ。
ここまで凝り上げると言うのはよほど勇気の入る事で、生活の大半を入れあげ経済的にも人間関係も、多大な犠牲を覚悟の上でないととても踏み込める世界ではありません。
兄ちゃん続けて言うところ
「ここまで完璧に段取りをしたんで、瀬戸内海は逃げようがないんで いつでも何処でもなんとでも出来るんです」 と移動店舗の店長はのたまうので御座います。
毒気に当てられた釣り師一行、口を半開きにしたまま、亡霊のようになって段取りを進めるところ暗雲漂って・・
「あの世界にはとてもじゃあないが踏み込めない・・!」
さて意気兼行な兄ちゃんと、しぼんだ釣り師一向、渡船で釣場に向かいます。毒気に当てられた釣り師で御座いますが、いかにも前向き立ち直りの早いところで、めげてはいません、段々にいつもの調子と言うわけで御座います。
一方兄ちゃんのほうも順調に段取りなどこなすところで、 おや 何やら緊急連絡。
しばらくするとしかめっ面の船頭が嫌々船を廻して参ります。どうやらあれだけあった釣道具を選択間違いしたらしく、再度車まで船を走らせます。
段取りの手順、道具の扱い、魚の追い込み方、どれをとっても若さの陳列、瀬戸内海は逃げないが兄ちゃんにはちとつらい。
そりゃあ全て対応するだけの道具立て、全ての魚に対する技量の程が整っていればこれはとんでもないこと、神の領域の釣り師であることだ。
一つの魚種に手を焼く釣り師にとっては、あの道具立ては羨ましいけれど、使いこなす自信は無い。
兄さんには精進して、立派な世捨て人に成ってもらいたいものだ。