当てが外れた釣り師の「標準木」
梅が終わって桜、誠に春の到来ということでございまして、桜の開花があちこちで聞かれるようになってまいります。
ブログの中でも桜が満開、全国各地の写真が掲載されることとなってまいります。開花はずれがありますから随分長いあいだ桜を愛でることができますので、ぜいたくな花見ということでございます。
ひとつ花だけでなく、ご婦人方も活躍されておりますのでブログの中は、今や盛りの奇麗どころ、ちょっと年増の伯母桜、枯れ木に花をと踏ん張る方々で誠に百花繚乱、華やかなことこの上ないのです。
枯れ木に花は、少々無理筋とは言いませんが・・・
さてさて、写真の花 おそらく梅であろうと思われるのですが、釣り師にとっては特に浪士にとってはこれは頼りにしているものなのです。
魚というのは季節によって活動の時期が異なるものでございまして、水温の変化で釣り師が釣る魚も異なってまいります。
「ホケ・・ホ~・・」から「ホーホケキョ」とまっとうな鳴き声を鶯が奏でてまいりますとチヌ(黒鯛)の乗っ込みがこちらの方では始まってまいります。
鳥の鳴き声で海中の様子を知るわけなのです。
自然界は連動しておりまして、地上の変化はおおむね海中の変化ということでして、地上をよく観察しておりますと、海中のことなどあらまし推測ができる、手に取るようにわかる仕掛けとなっております。
写真の木が花をつけ始めますと、さて今年もどの様な具合で戦いを挑むかと目論見ながら釣りの準備を始めます。
大概は戦い敗れて今度こそはと思うのですが、釣り師の歯ぎしりは各地でやむことはありません。
この木の花が咲いている最中は準備にいそしむのですが、この木ならどこの木でもいいというわけではありませんで、この地のこの木でないといけないのです。
同じ種類の木でも山の南北では、ひどいときには10日ばかり開花が違ってきますから、あくまでこの地のこの木でないと、「標準木」となっては参りません。
釣り師は手練れになりますと、海中の目安を立てるのに庭の花だったり、鳥の鳴き声、季節の変化など、それぞれ対象は違えど目安になる基準を持っているものなのです。
この観察する対象、「標準木」 あてがい扶持をいくつか持ち合わせないと、結婚式の日取りを間違えて一人たたずむという誠に情けないありさまとなってきますので、油断などゆめゆめ致さぬようにしなければなりません。
造成などで一夜のうちに刈り取られて、忽然と羅針盤を外される、誠にもって路頭に迷う次第となりかねません。
手だては用心の上、幾重にも張めぐらしておくのが上等な釣り師ということになってまいります。
他人さまの敷地にある標準木、目安とした場合ですがこれはいかんとも手出しが無用の処、できればおのが敷地の花であるとか、公園など公に生息する草花などあてにするのが、それもいくつか準備するのが上手の基本になるのです。
二階に上がってはしごを外される、おもちゃを取り上げられた赤子、になってはいけません、世も末で明日がない、こうなるとまったくもってざまはありません。
何を隠そう私めも苦い思いを致したのでございます。
同じ梅の木でした。
よそ様の畑のふちに位置して長年あてにしておったのです。それがある日造成工事が始まって忽然と姿を消したのです。
「あらほい・・。無ゃあじゃあないかい・・とほ・・」
しっかり頼りにしておった釣り師にとっては大変な事でございますが、日頃の行い 人徳が幸いし、しっかり、少しばかり離れた畑に移植されておりました。
神は我を救いたもうた・・。
あとは花をつけるのを待つばかり・・となってまいりましたが・・
これがいつまでたっても愛想の一つも致しません。つまり咲かないのです。
しばらくして確認したところ・・枯れていやがった・・
かくして数々の苦難を乗り越え釣り師は行くのであった・・のだ。
哀れ釣り師の現況は、あまた修羅場の上にあり・・・・