細工用の竹を算段しに参りました。
暫く更新を休んだところですが、体調などの事ではなくこの冬仕込む竹などを算段しに藪に籠もっておりました。
竹などは活性の高い時は勢良く水分を吸い上げるものでして、寒くなりますとこの量が少なくなって参ります。
この頃合で竹は切るものでして、虫など付かないこの時節が実に都合のよろしい事と成って参ります。
竹を切ると申しましてもそこはおのおの個性の出るところで、後先考えずにとりあえずなぎ倒すのから、余分目にひたすら長く切り出すもの、はたまた人の切り出した竹に目移りがしてくれくれと「物貰い」に徹する者など、頭の数だけ切り方が違うのですから面白う御座います。
労働者階級の森川君など切り口の竹の皮がめくれ上がっておりまして、これでは弱い上に先々細工するのに不都合な切り方と成っております。
黙って好きにさせるのですが、この先痛い目に合ったところで切り方を注意しておればと思い当たるのは必定なのです。
まあ、痛い目に合ったところで気付いてもらいましょう、皆痛い目に合って大きくなったのですから。
今年の春に竹を使った釣具を作ったところで、材料の竹というものがなかなかに手に入りません。 釣具を見た人に竹を探してくれと頼んだのですが、結構気にかけてくれていたようであちこち「あるで!」と言う事に成って参ります。
探してくれた手前おろそかにするわけにも行かず、それぞれ現場に付き合ってまいります。
あれほど無いと思われた布袋竹や亀甲竹が有るもんで有り難いやら、忙しいやら。
加賀さんという人が有って、「うちの採石場に一山この竹があるで」と言う事で早速に出向きます。
有る所には有るもんでして、一山藪に成っております。ここまでいともたやすく手に入るとは、これはお釈迦様でもご存知は無かった。
「悪いが丸裸にするで」
「おお、どっちみちブルで整地をするとこよ、気がねのお切ってくれ」
と言う加賀さんは仕事そっちのけで船の整備に忙しい。
何でも、熊本の被災地に送るんだそうで、この方は東北の地震の時も「浪士さんよう、船を寄越せ」などといいまして、陸に上げておった釣り船をあれよの間に巻き上げて、ねんごろに整備した上で東北の海に浮かべて参ります。
この方は元々船舶の免許の講師でして、災害などありますと人づてに集めた船を整備しては被災地に送ります。もちろんまったくのボランティアで本業の採石場の仕事をするときと顔つきが違っておりますから、面白い義侠心もあったものです。
さて、竹の切り出しも粗方目処がたったところだ、船底掃除の一つ手伝わねば成るまいか。