「こいみばし」をめぐる人民解放軍と南ベトナム民族解放戦線の攻防
人が多く住みます街の川は、本来の流れではなく用が済んで脇に追いやられ、川の流れが変えられたり 、生活排水などで汚れたままになり、なかなか顧みられないものでございます。
福山でも一時そのような流れは汚れ放題で、見るのも入るのもいや、人様の厄介者になり果てておりました。
さてお役所や民間の方がこれは何とかしようなどと思うところ、いろいろ手だてを打ってまいります。
民間では流れの掃除と振り返ってもらおうと、見た目きれいに改造を施すところも出てまいります。そこできれいになったところで、蛍を捕まえてきて放つ、一見街の中にも蛍が舞うという、いかにも「なんだかなあ・・!」というようなところも現れてまいります。
我がご町内におかれましては、どぶ川を奇麗にしようということで、どぶさらいをやってまいります。 これはよかった、取りあえず匂い、と見た目が改善されます。
次にやったのがかなり攻撃的な手でして、全国あちこち街場の流れに鯉を泳がせております。
これをこちらでもやろうということで腐心してまいります。 流れを渡る橋なぞ
「こいみばし」
などと名付けるほど力の入れよう、挙句橋なども新しいものに架け替えたりも致します。
さて、川も奇麗になって鯉なども泳ぐ、橋も奇麗になって目出度いことこの上ありません。小春日和の眠気を誘うこの地が、紛争の渦巻く地になろうとはこの時点で、予想だに出来るものではありません。
この地に紛争の種を撒きに最初に現れたのは今を時めく人民解放軍であります。
我々にとって流れに泳ぐ鯉は「観る」ものですが、人民解放軍にとって流れに泳ぐ鯉は 「食べるもの」 この認識の違いが悲劇を生んでまいります。
常識、しきたり、文化 所変われば品変わる、こちらでは駄目でもあちらでは許される。
誠に至極当然、当たり前のことでございます。
哀れ「こいみがわ」の鯉は闇にまぎれた人民解放軍に食いつくされてしまいます。
「一帯一路」の戦略によって、あれよあれよの間に水系の流れにある鯉は姿が見えぬ、な まじ半端な釣り師では及びもつかぬすざまじい略奪ぶりなのです。
外国人労働者階級の導入政策とやらで、次に現れたのはゲリラ戦を得意とする南ベトナム民族解放戦線、とても平和ボケの町内の衆の手には負えません。
解放戦線が目を凝らします。 大きな魚は姿が見えぬ。
そこはそれゲリラ戦で鍛えた目を凝らしますと・・・
「おった・・おった・・これは食わねば生きられぬ」
哀れ次に犠牲になったのは(ザリガニ)と気持ちよく甲羅干しの(亀)・・・・・!瞬く間に駆逐され・・・・・!
「国破れて山河あり」
何事もなかったように流れる水藻には何もおらず、かすかに泳ぐのは小さな外来魚ばかり。
四本足で机以外は食いつくす人民解放軍と水も漏らさぬ南ベトナム民族解放戦線だ、外交問題にまで発展しかねないこんなことを書いたんじゃあ、事によったら攻めてくるんじゃあないか?ですって。
何心配には及びません。
さっさと逃げるか、事によっからたら先にくたばっていたら攻めようもございませんから。
さあ、かかってこい・!
オペレーターを増員してお待ちしております!