「あんたの子供は隣の畳屋の親父に似ていないか?」
どちら様も初春のお喜びを申し上げるところです。
随分と遅い間の抜けた挨拶ということで御座いますが、ほとんど哀れな置かれようの釣り師で御座いますから、哀れな野朗の精一杯の気の効いた挨拶などとお笑いいただければ、事は波風の立たぬところと成って参ります。
釣り師の正月などといいますのは、喰って飲んで寝て釣るという面白くもなんともない事の繰り返しなのですが、当の本人はこれさえ邪魔立てされなければ至って機嫌がよいのですから、かなり単純に出来ております。
さてここは穏やかな日和の新春の釣場と言う事で御座いまして、いつもの年季の入って少しばかりくたびれの出た釣り師に混ざって、何度か顔を見せた事のある大層下手糞な青年も混じっております。
青年は何を商っておるのでしょうか営業職だと申します。
優男とはこのことで御座いまして、細いからだで釣り道具がどう見ても重そうに身体にまとわりついております。つまり非常に均衡が取れず扱いなれていない風なのです。
ぎこちない動きや要領の悪い所作を見ておりますと、此れで果たして営業なんぞができるんだろうかと思うくらい要領を得ません。押し売りなんぞはとても出来そうにありませんし、騙して売りつけるにはそこまで心根がひねておりません。
さてこの青年ぎこちなく釣りの準備を始めますが、後先するばかりで一向に準備がはかどりません。準備などよどみなく流れる様に無駄なくこなさなければならないのですが、手馴れていない素人丸出しと言う事で御座います。
「あにさん、横から口出すのもはばかられるところだが、いかにもつたない始末を見せ付けられちゃあ口の一つも出さない日には、ご先祖の墓には入れてはもらえんでのお」
「釣り師の手慰みといやぁそりゃぁ釣りだ、だがなあんたのは何処からどう見ても慰み者にされておるのはあにさんだ」
何度か釣場で同席したあにさんを据え付けて置いて聞きだしたところによると、どうにも釣りがしたくてたまらないらしく、動画などを見ると余計にそそられて、何時かああなりたいと釣場に足が向くんだそうだ。
いままで何が釣れたかと聞きますと、飯を食っている間に勝手に手のひらばっかりのチヌが釣れた事があるんだそうで、今じゃあ奥さんも釣れんのなら釣り止めたらとあからさまに言うらしい。
「出来る事なら子供に釣りを教えて親の威厳を保てたらなと言うのもあるんです」
しょうが無いじゃあありませんか、袖すれおうたが何かの縁で御座います。
「おお、石原さんよう、今日は釣りやめんさい!この兄さんに釣りを手ほどきして立派な真人間に仕立てようじゃあないか」
人生そうは偉そうに出来る場などございません、石原さんと二人してそこは思い切り偉そうにして参ります。
「あんた物売りらしいが、もしかして物を売ってはおらんか?」
「は??」
「あんた商品の説明が営業じゃと思うとろう、ああ言えこう言えと手引きばっかりなぞって、上役の言いつけどおり此れもなぞったところで物が売れんとまあこう言う具合だろう」
「・・・」
「物売りはなぁ、物を売る前に人間を売り込まんことには物が売れん、一旦売り込んだ日には正露丸でも戦車でも思いのままよ。」
「釣りの所作には全部意味が有って、自分の頭で一つずつ地道な重箱、積み重ねん事には明るい明日はいつまで経っても月の32日、待てど暮らせど来るもんじゃあありません」
石原さんなど調子に乗ったところで
「あんたぁその腕でよう子供を作ったなあ、もしかして隣の畳屋のおじさんに何処とのを顔付がが似とりゃあせんかい?」
まあここまで言いますと余分な言い過ぎということで御座います。
どうのこうので手取り足取りですが一向に下手糞には魚が釣れて参りません。いたし方ありません、石原さんと二人して下手糞の持ち帰り用の魚を釣って参ります。
「頂いて良いんですか?」という下手糞の前に、まあいい訳の立つぐらいの魚を並べて
「いいか、自分で釣ったと言い張れ」
しょうがありません、釣らせると大の大人が二人して言いあげた手前こうでもしなければ立つ瀬がありません。
下手糞を気取って魚を巻き上げる腕があの青年に有ったのかどうかは分からないが、ともかくあの下手糞は喜び勇んで帰りを急いでおります。
石原さんと顔を見合わせたところで、どうにも具合が悪い。いい気になって偉そうには振舞ったところだが、二人とも持ち帰る魚が無い。
さてどう言い繕うかこれから考えねばならない。