釣り場で釣り師はこれを恐れる
釣り師といいますのは、他に気の効いた芸などなかなか持ち合わせぬところで、そこはやはり釣りをするので御座います。
これを世間様では褒め言葉で「馬鹿の一つ覚え」などと申しまして、賞賛するところで御座いまして、今日も埒の明かぬことに精出してまいります。
釣場と言うのは実に厄介なところで御座いまして、ただ魚を釣ればいいというものでもございません。
そこには人知れず、釣り師同士の密かな戦いなどと言うものが有りまして、お互い静かな、駆け引きと戦いを繰り広げているもので御座います。つまり見えざる足の引っ張り合いで御座います。
いつ頃なのか戦にしろ遊びにしろ競うという術を身に付けまして、悲惨なものから悔しい物まで様々、人様と言うのは競うものです。
釣場でも魚を釣るという、至って個人的な事情に加えて、人様より釣りたいと言うのは奥底に抱えておる物で御座います。
競う上でなんと言っても明確に優劣が出ますのは、釣果これに勝るものは御座いません。数の力は絶大でいかに大金を積もうが、これを揃えられなければ何の役にも立ちません。
釣り師などといいますのは、世間様から褒められた扱いなど受けておりません。社会の最後の崖っぷちでようやく嗜んでいる風ですが、それでもいちっぱしの見栄等張るところで、30センチの魚を釣っても、説明する時には両手のひらを40センチばかりに広げるところですから、小ざかしい事この上ありません。社会の片隅で決して省みられる事の無い立場でありながら、精一杯虚勢を貼るところですから、惨めにかわいそうなのです。
何も口には出さぬ事ですが、釣場に面子が揃いますと上手が何人、平均点が何人、下手糞が何人、得体の知れないのが何人と値踏みをする事で、ここは一つ人様の鼻を明かして賞賛を得たいなど、至って小市民の成り上がり根性が行き渡るところで御座います。
妙な空気が充満する事があります。それは得体の知れぬのが現れた時で御座いまして、なんとも上手いのか下手なのか分からぬ時で御座います。
釣場の値踏みは道具立てに装い、これであらかた分かる事で、そう狂わぬものです。
カタログから抜け出たようなメーカーのウエアで武装しているのは、朝一番の段取り具合でほとんど丸裸、余り脅威ではありません。
釣場で恐れられるのは写真のような出で立ちと、道具立てで現れたらこれは警戒されるものです。 伝統と歴史を背負ったようなのには、あらゆるものに軽くしか関わってこない現代人、後ろめたさを抱えるものでして一瞬「ぎょっ」と成るのです。
それだけ伝統と文化は力が有るものでして、本物に近いのではないかと当面錯覚するところです。
このような出で立ちと道具立てはよほど覚悟と、腕の自信がないと、それは装えるものではありません。こんな格好で釣れぬと成ったら、ただ馬鹿にされるのではなく掛け算をしてあざけられるのですから、よくよく考えて装う事です。
おっさん、気取ったところで貧しい稼ぎじゃあ「チンドン屋」の成りそこないかと、あしらいを受けることとなって、急いで穴など探さねば成りません。
さてこの装いで魚が釣れたと成りますと、是非にも知り合いに成っておきたいというのと、深い本格的なかかわりは持ちたくないというのに分かれて参ります。
伝統的なものと言うのは皆の腰が引ける何かの力が有るようでして、自信の無さから来る後ろめたさが、ひとまず本格的に見えるようなものを恐れてまいります。